バイマンスリーワーズBimonthly Words
今を生きよ
新年あけましておめでとうございます。
本年も新経営サービスをどうぞよろしくお願い申し上げます。
世界的不況を招いたリーマン・ショックに続いて、今度はドバイ・ショック。
これでデフレがより進行して、空前の大不況に突入するのではないかと予測する人もあれば、
いや、ドルが紙切れになってハイパー・インフレが世界を襲うだろうという説もあります。
私たちを取り巻く環境は、さらに厳しく、深い谷底に向かっているのでしょうか…。
長期的な業績不振は、企業の人々に多大なるストレスを招きます。
深刻なのは、思うようにならない人間関係によるストレス。
商品部は、業績不振の原因は営業部にあるとし、
営業部は、商品に魅力がないから売れないという。
他人のせいにしたくなる心情は、分からなくもありませんが、
これではいつまでたっても社内の力は結集できません。
今の厳しい状況では、まず自分のやることで精一杯のはずで、
他人のことを言ったり、言われて落ち込んだりしている余裕はありません。
この世は自分の思いどおりにはならない
~人生は苦に満ちている~
お釈迦さまは、人生は”苦”であると説かれ、
小林正観さんは、苦について次のように解釈されました。
「苦の本質とは、自分が思いどおりにしたいのに、それが叶わないこと」
この世が自分の思いどおりにならないから、人は悩み、苦しむというわけです。
この世の中は、自分の思うようにはならない…。
年齢を重ねるごとに、まさにその通りだと実感します。
自分が何かを思い描いている時に、それを邪魔する何かが現れたらどうするか?
あわてて、目の前からそれを取り除くことがベストな方法なのか、考え直してもいいでしょう。
もし何らかの病気が発見されても、それを退治しようとはせず、
“いかにその病気と共に暮らすか”と考えた方がいい場合がある。
私たちのまわりに存在している異質なことは、それを排除するのではなく、
同居させ、共存共栄をはかることで新たな道が拓けてくることが少なくありません。
父親といつも対立する後継経営者でも、いずれ経営に専念するようになります。
すると、経営経験を積めば積むほど、あれほど対立していた父親が、
じつはすごい経営者で、偉大なる存在であったことに気づきます。
右か、左か? と大きな決断を迫られた時、「親父ならば、ここでどう考えるだろうか…」。
そして、父がこの世から去った後のそれは、神にも近い、畏敬の念に変わっていく。
時が経過するうちに、対立していた関係も質的変化を起こし、
自然に同化して、一体のものになっていきます。
幾多の不況を乗り越えた「カタツムリ商法」
京都には千年以上続いている商家や細工師が20軒以上あります。
明治維新以前からの「企業」となると269社もあり、これはダントツの世界一。
長寿企業が必ずしも価値があるとは言えませんが、変動する情勢を読み、
天災や戦乱にもめげず、激しい競争を勝ち抜いてきた智恵が、そこにはあります。
京都商法は”カタツムリ商法”とも言われています。
ゆっくり進むが、バックしない、という意味もありますが、
本当の意味は、カタツムリが「雌雄同体」であることに由来します。
保守的ながら、革新的である。
質素倹約を尊ぶが、将来投資はケチらない。
伝統手法を重んじながら、新しいノウハウを取り入れる。
一見、矛盾する両極のものを一対として考えるのが京都商法の特長です。
何度も好不況の波を体験された、晩年の松下幸之助氏が、
「好況よし、不況またよし」という心境に到達しました。
しかし、現実的に「好況」と「不況」の両極に対応するという、
そんな名人芸のような経営が、本当にできるのか疑問です。
京都の今宮神社の門前には、千年以上も続く「元祖いち和」という茶店があります。
ところが、向かいには同じ”あぶり餅”を売る「本家 かざりや」が店を構えています。
「元祖」と「本家」という矛盾を主張するお店が、なぜ長年にわたって共存できるのか?
そこには、二つの店を一体にさせる「今宮神社」が両者の”間”に存在するからではないでしょうか。
過去はない、未来もない。あるのは永遠に続く"今"だけだ
田坂広志氏は、体験から生まれた死生観についてこのように述懐されています。
「医師から余命幾許もない命であると告げられた私に対し、禅寺の和尚がこう言った。
『そうか…もう長くはないのか。しかし、人間死ぬまで命はあるぞ!』
あれから20数年、どういうわけか私は命を与えられている。
この20年間は、まさに充実した時間であった。
過去はない、未来もない。あるのは、永遠に続く”今”だけだ。
今を生きよ。今を生き切れ!」
たしかに、私たちの目の前に存在する”今”という時間は、
つい先ほどまで”今”であったが、今になるとあの”今”は既に過去のものになっています。
私たちが生きているのは、今、今、今、の連続なのです。
これが「無常の真理」なのかも知れません。
この世に生まれてきた人は、必ず死ぬ。
そして、人はいつ死ぬか分からない…。
だから「生」と「死」という両極の”間”にあるものをもっと大切にする…。
ならば、一度しかない人生がより実りあるものになるでしょう。
自分の人生は自分の思った通りになる
「昔は良かった…」と口にするのは、過去の栄光にとらわれ、
“今の自分を否定している自分”の表われです。
「将来が不安だ…」と思い悩むのは、どうなるか分からない未来に心を奪われ、
“今の自分を信じない自分”がいるからです。
「過去」と「未来」の”間”にあるものに、もっと力を注いでみる…。
ならば、私たちの人生はより輝かしいものになるでしょう。
この世の中は、自分の思い通りにはなりません。
しかし、自分の人生は、自分が思い描いたようになります。
たとえ、あなたの会社の売上が最盛期の半分以下になっていても、
じつは、あなたが置かれている”今の状態”があなたにとっては最高の状態です。
この瞬間、瞬間が最高の状態だからこそ 今のあなたができることに、精一杯の力を注ぎましょう。
そうやって”今を生きる”ことが”最高の今”を続けることになるのです。