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株式会社新経営サービス

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バイマンスリーワーズBimonthly Words

やむをえない

2008年11月

リーマン・ブラザーズの破綻に始まった金融危機問題とは、いったい何だったのか?
劣化することが明らかなサブプライムローン(信用度の低い人向けの貸付け)をばらまき、
そのツケを、”証券化商品”という名の包装紙にくるんで、
日本をはじめとする世界中の投資家をターゲットにして買わせていたのです。

そんな仕事をしていたリーマン社員の平均年収は30万ドル(約3000万円)を超え、
CEOのリチャード・ファルド氏は、在任中に5億ドル(約500億円)もの報酬を取っていた。
昨年、米バロンズ誌では「ウォール街で最も尊敬されるCEO」に選ばれていたファルド氏。
経営者として最高の評価を受けながら、翌年に破綻というのは要するに罠ではないのか…。

今回の一件は、ライオンなどの肉食動物が草食動物を獲物として生きる姿に似ています。
ライオンは獲物の肉を最初に食べるのではなく、獲物が食した草の詰まった腸から食べる。
それは、肉食動物も草などの植物エキスを必要としていることの証です。
これは、必要な草を草食動物に食べさせておき、いいところをまとめて食べるやり方です。

米国政府は、救済策として最大7000億ドル(約70兆円)もの公的資金を投入しますが、
その米国の国債を最も多く引き受けている国はどこか?…… それは、もちろん日本。
この資金は、まぎれもなく日本国民が働いて生み出した富であり、ドルが暴落すればただの紙切れ。
敗戦国家とはいえ、簡単に策略に引っかかる農耕民族の姿はあまりにも忍びないものです。

私は、狩猟民族を排除し、農耕民族を救済せよと言っているのではありません。
欧米の制度や価値観を無節操に受け入れたために、日本全体がアレルギーを起こしているのです。
それは、欧米の影響が経済問題だけでなく、精神面にも表われている。
勝てば良し、相手を倒せばそれでよい、という風潮が高まっているのです。

しかし、勝負に勝たねば生きていけない

北京オリンピックで日本選手が苦渋をなめた柔道は、元々「一本勝ち」を競うものです。
ところが、点数を稼げば勝てるという国際ルールが、柔道のスタイルを変えてしまい、
柔の道を通じて精神修養をめざす柔道は、勝てば良し、というスポーツになってしまった。
「柔能く、剛を制す」の伝統的な柔道は、これからの世界では通用しないのか?

「大相撲 日本人は 行司だけ」
こんな川柳が詠まれるほど、強い日本人力士が減り、外国人中心となった相撲界。
他のスポーツ人気に押され、力士を目指す子供が減ったのでしょうか、
部屋の親方は、力のある外国人を引っ張らざるを得ないのです。
ところが、国技としての精神教育が追いつかず、外国人力士に絡んだ不祥事が絶えない。

「製造年月日」であった食品の表示方法は、消費期限、賞味期限に代わりました。
これは海外の食品の扱いを有利にするために外圧によって作られた制度。
鮮度管理は高度になり、消費者は安心して購入できるというメリットはあるが、
期限をうのみにして捨てるのはもったいないし、匂いや色合いで判断する感性も衰えていきます。

近年、若者に人気のある格闘技は、相手を殴り倒し、
時に血まみれになるものに移っているように感じます。
勝つためにはどんなことでもするという風潮が、相手の痛みが感じられずに簡単に人を傷つけ、
親が子を、子が親を殺める、という世相に影響を与えていないでしょうか。

このほかに、国際会計基準、裁判員制度、監視システムなどは、
株主重視で、性悪説を前提とした典型的な欧米のスタンダードです。
これ以上、合わない服を着せられていくと日本人の長所はまったく活かされません。

しかし、中小企業の経営者にはつらい現実問題が横たわっています。
勝てば良し、相手を倒せばそれでよい、という考え方には問題があることが分かっていながら、
商売で注文をとらなければ存続できず、競争相手に勝たなければ生きていけない。
中小企業の経営者はこんな矛盾を抱えながら、日々の経営に向かっているのです。

丸くおさめて、実行させる

芥川賞作家であり、福聚寺の副住職でもある玄侑宗久さんは、”やむをえない”をすすめる。
「洪水で家が流されたとしましょう。これは基本的に『やむをえない』と考えることです。
ところが、あの堤防の作り方が悪い、業者が悪い、ひいてはそれを指揮した行政が悪い、
という考え方をアメリカを筆頭にした先進国の人たちがするようになってしまった。
誰かのせいだと思っている限り、心は自由になりません。
天命だと思ったときに、その出来事の記憶は供養されるのです」
(「自燈明」 三笠書房 より要約)

“やむをえない”は、仕方がない、といった”あきらめ”に近い意味の言葉に使われますが、
本来の意味は、『中道』にあると玄侑さんは言います。
原典は「已むを得ざるに託して以て中を養う」という中国の『荘子』に出てくる一節。
中を養うとは『中道』のことで、”やむをえず”の心境に任せると、中道を保つことができるという。

思いもよらない事態に直面したときは、自分の思いもあるけれど…、
「これは、やむをえないよね」 と、言って事態を受け入れ、
「それは、私がやるしかないね」 という姿勢で、解決に向けてことに当たればいい。

あなたの部下に、最先端の機器を購入して品質向上を訴えるAさんと、
一方、無駄な支出をせずに徹底的なコストダウンを主張するBさんがいるとしましょう。
二人の意見は、矛盾した二律背反の関係になっています。
どちらの意見も捨てられないとき、あなたはどちらの意見を採択するか?

そんなときは”やむをえない”と言って、どちらの意見も採用すればいい。
双方共に、実行しなければ会社はやっていけません。
要するにどちらが正しいか? ではなく”丸くおさめて””双方共に実行すること”が重要なのです。
“やむをえない”には、双方を受け入れ、実行につなげる深い意味があったのです。

覚悟して、流れにまかせる

最近は”やむをえない”という考え方が、肯定的に使われていません。
それは、やむをえないことでもコントロールできると思うようになったからです。
クーラーのなかった時代は、「今日は暑いじゃないか」と、暑さに応じて窓を開けておいた。
ところが、今は「今日は暑いじゃないか」と、パシッと窓を閉め、クーラーをかける。
これは、状況に「応じる」のではなくて「コントロールしてしまう」のです。

人類は科学技術の発展によって、不可能なことも可能にしてきました。
だから、どんなこともコントロールできると錯覚していることが少なくない。
しかし、人間は自然の一部であり、自然の営みに逆らっては生きていけない。
自然の営みに対し、勝てば良しの考えは「傲慢」以外の何ものでもありません。

それにしても今回の波は、とてつもなくデカイ。
すべてのものを破壊し、呑み込む勢いをもった大津波です。
株価や為替はどうなるのか。
物価の上昇はどこまでいくのか。
日本経済は、我が社は、そして社員や家族の生活は、これからどうなっていくのか…。

企業のリーダーには”絶対にあきらめない”という「執念」が不可欠です。
しかし、”なるようにしかならない”という心境の「諦観」も忘れてはなりません。
これまで蓄積してきた資産を”やむをえず”整理するかも知れない。
自分が望んでいない判断を”やむをえず”下すことになるかも知れない。
こんな時こそ、両極の心境をあわせ持つ”中道”の精神が光るのです。

今はこの大きな波に、無理に立ち向かわないほうがいい。
人々を指揮・指導する立場の経営者が、あせってはならない。
やむをえない!と覚悟して、流れに任せてしまえばいい。
そして、足が立つところまで流れていったら、
そこで立ち上がり、もう一度、はじめの一歩を歩き出せばいい。

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