Now Loading

株式会社新経営サービス

Books
出版物

トップページ > バイマンスリーワーズ > 求める人生 捨てる人生

バイマンスリーワーズBimonthly Words

求める人生 捨てる人生

2005年11月

一時は大きな成功を収めたもののその後は下降線を辿り、晩年には汚名を背負う経営者は、成功の裏側にひそんでいたものが露呈したようで、なんとなく悲哀めいたものを感じます。

ダイエー創業者の中内功さんが神戸の病院で去る9月19日に83歳で他界しました。8月下旬に脳こうそくで倒れて亡くなるまで、意識が戻ることはありませんでした。一度は天下を取って経団連の副会長にまで上り詰め、まさに“巨星、堕つ”の感がある反面、80歳を過ぎてから会社を追われ、経営者失格の烙印を捺されたままであるために、いささか無念さの残る最期です。

中内さんは1957年に大阪の千林商店街で「主婦の店ダイエー薬局」を開業。食品や衣料品など幅広い品を揃えた近代的スーパー経営の先駆けとなり、72年には売上高で三越を抜いて小売業の日本一になりました。それでも中内さんの事業意欲は止(とど)まらず、ローソンなどの事業を次々と展開、リクルートやプロ野球ダイエーホークスの経営にまで進出して「ダイエー帝国」と呼ばれるグループ企業を築き上げたのです。

しかし、周囲をイエスマンで固めるなどワンマン体制の弊害が露呈し、その後の経営は一挙に悪化しました。既にイオンやイトーヨーカドーなどが業界をリードするようになっており、「ダイエーには何でもある。しかし、欲しいものは何も無い」と囁かれ、中内さん自身も晩年「消費者が見えんようになった」と嘆くこともあったといいます。01年に責任を取る形で取締役を退任。しかし遅すぎた決断で、もはや売り場は荒廃していました。その後、私財を投じて設立した流通科学大学の学園長に就きますが、個人的にも多額の負債を抱え、実際はほぼ破産状態だったと伝えられています。昨年には豪邸や所持する全株式を売却し、名実ともにダイエーから決別していたのです。

昨年亡くなった日本マクドナルドの藤田田氏も、大きな成功を収めながら晩年には不遇というか、苦しみながらも評判を落としていった経営者です。それぞれの分野で成功を収めた人が晩年に凋落の道を辿っていくのは経済界だけでなく、あらゆる分野の指導者の中に発見できます。田中角栄や金丸信といった政治家をはじめ、プロスポーツや文化・芸術の世界などでは数え切れません。

六道輪廻と十界

仏法の教えの中に人の栄華や凋落のプロセスを表現した「六道輪廻」という考え方があります。

この世に生を受けた迷いのある生命は、死んだ後に浄土ではなくて、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六つの世界で生死を繰り返すというのです。下位にある地獄、餓鬼、畜生を三悪道といい、上位にある修羅、人間、天上の三つには善を行ずる力が残っているので、三善道としています。


地獄から天上までの六道は、自分自身の外側にある条件に支えられており、運がよければ欲望が満たされて「天上」の喜びを味わうことができます。また、環境が平穏であれば「人間」の安らぎが得られますが、ひとたび外側の条件が変わると一挙に「餓鬼」や「地獄」にまで転落します。
それぞれの道に配属されるのには原因があって、たとえばこの世において十悪とよばれる悪業をすべて重ねると「地獄行き」になります。十悪の一つに、ウソをつくことの「妄語」というのがありますが、これは子供の頃に「ウソをついたら閻魔様(地獄の主神)に舌を抜かれるよ!」と、よく叱られたあのことです。
この六道の「迷いの世界」を脱すれば、天上の上位にある「悟りの世界」に行くことができます。
それはまず教えを聞くことによって学びとろうとしている状態の「声聞」、次に生活の中なら悟りを見つけ出した状態の「縁覚」、そして他人をいつくしみ、他人のために労力を惜しまない生命状態の「菩薩」、最高位が自ら悟り、また他人をも悟らせつつある自他平等の「仏」の四段階です。
迷いの「六道」に対し、悟りの世界は「四聖」とも呼ばれ、これらを合わせて「十界」としています。

人に対する不信感は戦争の傷跡か

いかがでしょうか、この十界の世界は死後の世界というよりも、私達が生きている現実の人間社会そのものだと思いませんか? この世界は本人の精進しだいで苦しみから脱することもできるし、ひとつ間違うと阿修羅に、そして三悪道に転落したりと、千変万化の世界なのです。

たとえば「菩薩」は利他心に厚い心の状態をいいますが、わが子に対して労苦を惜しまず慈しんで育てる母親はまさに菩薩の行をしているのです。ところが、子供をひたすら愛する母親は夫にとっては「阿修羅」に映り、ときには「畜生」に見えるかもしれません。

オールスター戦にも出場した元プロ野球選手が殺人事件を起こしていますが残念なことです。それまでの人生はスターであり、まさに最高の「天上」にいたわけです。ところが歯車が狂いはじめてからは畜生、餓鬼、そして地獄の世界にと堕ちていったのです。

こう考えると経営の世界でも同じ現象が起こっていることがわかります。

地獄、餓鬼、畜生の三悪道で苦しんでいる状態を経営に置き換えるなら、資金繰りや労使対決、ときには賠償問題などに追われて、本来の経営に打ち込めない状態でしょう。

中内さんは、太平洋戦争で最前線へ投げ込まれ、所属していた部隊はフィリピンのルソン島で玉砕。重症を負いながら食うや食わずの中から奇跡的な生還をしています。「人の幸せは、まず物質的な豊かさを満たすことです。」が口癖だった中内さんの「餓鬼」のような拡大志向は、「地獄」から這い上がってきた戦争体験からきているのかもしれません。

そして、「戦中に定められた体制が、今の日本を駄目にしている」として国の規制やメーカーの独占と戦う消費者の味方として成長した中内ダイエーが三越を抜いて日本一になった時は「天上」の喜びだったでしょう。残念ながらその喜びは長く続きませんでした。その後にリクルートやプロ野球経営にまで広げたことは、“欲望の広げすぎ”だったのでしょうか。

あの時、諫言できる幹部や、相談できる人がいるとよかったのでしょうが、これも戦争体験が邪魔をしていたのではないかと推察されます。中内さんが戦地でもっとも怖ろしかったことは、同胞の日本人兵士にいつ背後から撃たれるかわからない、という恐怖だったといいます。戦場とは周りの人が餓鬼や畜生に変貌し、自分以外の人間を信用することが不可能な場所なのです。

この悲惨な体験が、他人を信用して任せることができず、周囲をイエスマンで固めてしまう一因になったのでしょう。戦争で負った心の傷がいつまでも消えなかった悲しい出来事です。

人生の後半生は捨てていく作業

心理学の研究を続ける旅行作家の小林正観氏が次のように語っています。

「私達の人生は、前半生の人生は求めて、求めて、それを手に入れていく作業なんですね。でも後半生は求めていく作業ではなくて、いかに捨てていくか、なんです。それをあるところでキチンと切り替える。平均寿命を80歳とすると、40歳が折り返し地点になります。そこを過ぎた人は、これからは求めるのではなくて、如何に捨てていくかの作業が始まるんです。」

なるほど…。小林氏の話はまだ続きます。

「若さや美貌への執着も捨てるんです。今まで、若い、美しいと評価されてきた、その執着を捨てるんです。それを、欲しい、まだ欲しい、絶対失わないぞ、って頑張るとストレスになります。人間が老いていくというのはずっと捨てていく作業なんですね。最終的には妻や夫を失う。でも捨てていく作業の中で一番大きなものは『私』がしっかり抱え込んでいる価値観、『私』がこだわっているもの、地位や名誉や他人からの評価や頑張り…そういう価値観や固定観念なんです。そういうものを捨てていった時に、人間はものすごく楽になることができます。」

ウーム、なるほど…と感心せざるを得ません。

人間が成長・発展していく原動力は、ああなりたい、こうなりたい、という欲望にあります。そんな思いを強く抱き、求めていくことで得られるのです。西洋の“求めよ、さらば与えられん”のことわざ通り、欲望のないところに成長・発展はありません。

ところがこの欲望が苦しみを生んでいる根本原因であり、己のもっているこの欲望とどうやって付き合っていくかが後半生を生きるための重要なテーマなのです。

会社の業績を心配するとか、部下や後継者に対する期待だとか、そんなことは捨ててみてはいかがでしょうか。部下や後継者に任せたのなら思い切って手放す勇気も必要ではないでしょうか。

求める人生から捨てる人生へ変わる転換点は人によって違うでしょう。それが40歳の頃か、もっと晩年に訪れる人もあるでしょう。中内さんも、その転換点から捨て去ることができれば良かったのでしょうが、戦争による心の傷はどうしようもなかったのでしょうか。

文字サイズ