バイマンスリーワーズBimonthly Words
やさしくなければ 強くなれない
日本刀とピストルの弾丸ではどちらが強いか?
一見、無駄な知識を紹介するテレビ番組「トリビアの泉」で行われた実験です。切っ先は天を仰ぎ、刃をこちらに向けてしっかと固定された日本刀。5メートル離れたところから、獲物におそいかかる猛獣のようにピストルの弾丸は放たれました。「回転しながらぶつかる弾丸の破壊力は強烈。日本刀の刃がこぼれただろう」と思ったその刹那、意外な結果が・・・。そこには真っ二つに割れた弾丸が無残な姿をさらしていたのです。実験は何度も繰り返されましたがすべて同じ結果で、日本刀は刃こぼれ一つせずに悠然と突っ立っていました。
よく考えると弾丸の表面は鉛や銅で出来ており、鍛えられた鋼の日本刀に勝てないのは当然かも知れません。時速900キロで放たれた弾丸にびくともしなかったのは、日本の匠の技が西欧のそれを上回った感動の一瞬でした。
なぜ日本刀はここまで強靭なのでしょう。
それは、一言でいうなら「鍛え方が違う」からでしょうか。最上級の鉄、玉鋼(たまはがね)を炉で熱し、鎚で叩いて伸ばす。それを曲げてまた叩き伸ばす。これを十数回繰り返します。何といっても心と技を磨き上げた刀匠によって厳しく鍛え上げるところにその真髄はあるのかもしれません。
刀匠の技と同じく、現代の企業社会においても同じことが言えます。社内外で鍛え抜かれた人材は驚くほどの強い競争力を持っています。
そう考えると、マネージャーの仕事は、結局は人を鍛え、育てることに行き着くでしょう。
マネージャーの最低資格は「自分に厳しい」
ところが、現実のマネージャーは次の四つの段階に分かれていると言われています。
段階1…自分にやさしく、相手に厳しい
段階2…自分にやさしく、相手にやさしい
段階3…自分に厳しく、相手に厳しい
段階4…自分に厳しく、相手にやさしい
段階1は「自分を守るために、相手を痛めつける」タイプで、権力や金力で相手をねじ伏せる人物像。強い相手には弱く、自分より弱い相手には高圧的な態度に出ます。
段階2は「自分の利益のために、相手にやさしく接する」といった感じでしょうか。表面的にはやさしいが、相手の地位や財産を利用して己の利益をねらうもので、賄賂やリベートが幅を利かせる業界に横行するタイプ。段階1と2は“自分に甘い”ことが共通点。つまり、己を鍛え、実力を磨くことから逃げているわけで、このタイプに人材の育成を期待する方が間違いです。この段階は議論に値しません。
問題は段階3からです。
この段階から人の上に立つ指導者として資格を得ることになります。そのキーワードが「自分に厳しく」なのです。自分で自分を厳しくできない人間が、他人の指導なんて出来るはずがありません。自分に厳しい人間でないと部下を持つことは許されないのです。
自分にも相手にも厳しい指導者といえばスポーツの世界、とくに最近の女性の指導者には目を見張るものがあります。
女子ソフトボール日本代表チームの宇津木妙子監督などは、それは厳しいスパルタ指導者として知られています。
合宿では誰よりも早く起きて宿舎から球場まで30分のランニング。練習が始まっても黙々とランニングをし、その後に自らノックバットをふるう。マシンガンのようなノックは今や芸術の域。国際試合では“名物”になっています。
「必ず一度は限界に追い込まなくてはなりません。合宿では午前中にノックを三時間、午後は打撃千本をノルマにやる。夜も素振りとサーキットトレーニング。それを二週間続けます。私のノックは絶対に休ませない。疲れが限界になるとただ“負けたくない”という気持ちで球に飛びつくようになる」
と語る宇津木監督は、ことし50歳を過ぎている。ノックをするその姿は、まさに日本刀を鍛える熟練した刀匠の姿とぴったり重なります。
やさしさがなければ、厳しさは生かされない
私も甲子園を目指す野球少年でしたから厳しい練習は経験してきましたが、ここまでやったかと問われると完全に脱帽です。
もちろん、やみくもに練習するだけでは成果は出ません。目標をしっかり立てて取り組まなければ選
手はついてきません。それでも、うまくいかないのが常なのに、宇津木監督の率いるチームでは一人も脱落者は出ないといいます。罵声を浴びせ、死ぬほどの厳しい練習を続けてもなぜ選手達はついてくるのか?
じつは、もう一面の宇津木監督は、選手に対して心底やさしいのです。
たとえばシドニー五輪女子ソフトの主砲、宇津木麗華選手への思いやり。中国人だった彼女とは選手時代からの縁で日本国籍の取得では「宇津木」姓を与え、姉のように、時には母代わりとなって育ててきました。他にも中国の選手を二人預かり、語学学校の費用などもすべて個人で出しています。チーム内では極度の世話焼きで通っているのです。
「選手は私の宝。私ができることは何でもする」
宇津木監督のスパルタ教育の奥にはやさしさと選手への深い愛情が溢れていたのです。
最近、こんな言葉を教わりました。
人は強くなければ生きていけない。
でも、やさしくなければ生きている価値がない。~ レイモンド・チャンドラー ~
(レイモンド・チャンドラー:アメリカのハードボイルド作家)
私は一瞬、ハッとしました。強さを求めるばかりに、カラ回りの多かった自分の愚行に気づかされたのです。
人を育てるには若い間に仕事の進め方、お客様との接し方といった基本をたたき込み、厳しく鍛えることが不可欠です。しかし、厳しいだけの指導では人はついてきません。指導者が不在になれば普通の人なら気が緩んで練習をサボったり、陰でこそこそと良くないことをしたりと、とかく自分に甘くなるものです。マネージャーの“段階3”では限界があることに身をもって感じていました。
そこで、段階4「自分に厳しく、相手にやさしい」の真意が見えてきました。
指導する相手が自分に厳しく生きる腹決めをし、その状態を維持できるレベルにあれば、その相手にはやさしく接した方がいいのではないか。やさしさはかえって相手の心に快いプレッシャーとなり、そのやさしさに応えたいという自覚と責任感が生まれてきます。
やさしさで人は育ちません。厳しさが人を鍛え、力をつけるのです。しかし、やさしさがなければ厳しさは生かされません。
“やさしくなければ強くなれない”これが企業人に対するチャンドラー論ではないでしょうか。
そして、真なる強さとは何か
何度も熱し、叩かれた日本刀の製造は最後に水につけて一気に固められます(これを焼きいれという)。この焼入れが非常に難しく、水の温度を少しでも間違うと、どんなに優れた鉄で作っても鈍刀(なまくら)になるそうです。
この水の温度は、部下を鍛えるリーダーのやさしさと似ています。やさしさが過ぎると甘えてしまい、厳しさが勝つと脱落してしまうように。
そして、もっとも大切なことは熟練の技で鍛えられた切れ味鋭い日本刀が、武士の手に渡りどのように世間で使われていくのか・・・。
世に名刀と言われたのが「村正」と「正宗」。村正の刀は恐ろしいほどの切れ味で、一度手にすると無性に人を斬りたくなることから「妖刀」と呼ばれました。実際、村正の刀で徳川家康の祖父が斬られ、家康自身がこの刀で指を傷つけています。
人類の歴史は武器の発達によるところが大きい。刀は人を殺傷する道具でありながら、本来は平和な社会を実現するためのものだったのです。正宗の刀は名刀と呼ばれながら、実際に人を殺めることは少なかったと伝えられています。日本刀の真なる強さとは、鋭い切れ味を持ちながら、決して人を殺めることを目的としない、人類愛に裏打ちされたやさしさが漂っているものなのでしょう。
企業のリーダーは、組織が大きくなるにつれて人の重要さに目覚め、人材育成に精魂を傾けるようになります。それは部下を厳しく鍛えることで、ある程度の成果は得られるでしょう。ところが、次世代の経営幹部や後継者の育成が必要な時期になると大きな壁に突き当たります。その時に、もう一段高いところの人格が求められているのです。
企業のトップが最終的に目指す人格は、いわゆる名刀の「正宗」。底知れない業績に対する強い執念を持ちながら、決して社員や協力業者の方々の心を傷つけない、懐が深くてやさしさの漂う人格でありたいものです。
厳しい姿勢で勝利にこだわる反面、やさしさも兼ね備えた宇津木監督。
宿敵アメリカはピストルの弾丸のようなスピードとパワーを持っている。鍛えられた日本刀がその切れ味を見せてくれるか。アテネでの活躍を期待したいと思います。