バイマンスリーワーズBimonthly Words
人は退路を断って はじめて輝きを増す
“智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。”
百年も前に書かれた文章なのに、「なるほどなぁ・・・」と感じ入ります。夏目漱石が残した「草枕」の冒頭です。
知恵を絞って考えた会社の改革を計画通りにすすめようとすると、必ずや批判をし、不満をぶちまける人間が現れる。これではうまくいかないからとその意見を汲むと、こんどはなかなか計画が進まない。ええぃ!とばかりに意地になると、なおさらうまくいかない。
企業再生、企業改革という言葉がブームになって久しいものがありますが、実際に改革が進んでいるのは少数派です。多くの企業で改革が進まないのは、経営者が「人の問題」にぶつかり、「草枕」のような人間模様の中で、もがき苦しんでいるからではないでしょうか。
経営者や管理者に人材育成の重要性を説く際には、「企業は人なり」という言葉が使われます。
城の石垣には様々な石(人材)が、その形状(特性・能力)によって組み合わされ、全体が一つにまとまっている。個々の人々が心を通わせ、互いに協力し、団結する事で、組織力が発揮されるのですよ、といった意味です。
もっともですが、現実はそんなにカッコいいものではないのです。
「企業は人なり」の現実問題は、あちらを立てればこちらが立たず、こっちを立てればあっちが立たず、はたまた両方立てると己が立たず。なんと人の世は住みにくい・・・。
否、「兎角に経営はやりにくい」というのが実際の感想でしょう。
その気がなければ二人でも持ち上がらない
五月病を乗り越えた新入社員がボチボチ仕事に慣れてくる時期になりました。この頃から聞こえてくるのが「私は聞いていません」という言葉です。
これまでは、巣中で口を開けて待つヒナに、親鳥がエサを運ぶように、上司や先輩が手取り足取りと教えていましたが、半年もすると自分で考えて行動すること求められるのです。
ところが、当の本人はこの意味について分かっていません。
自立するようにと、言葉では教えられているのですが、心の奥底には「誰かに教えてもらおう」「最後は誰かがやってくれるだろう」という意識が強く残っているのです。
詩人のゲーテは、
“自分一人で石を持ち上げる気がなかったら、二人がかりでも石は持ち上がらない”
と言っています。もっともな言葉です。
誰かがやってくれるだろう、と思った仕事は誰もやってくれません。
結局、彼らは上司に、そして組織に甘えているのです。そんな甘えた心が「聞いていません」と言わせるのです。
このような現象は若い社員だけではありません。
ベテラン社員が、それも発言力のある管理者や経営幹部が、会社や上司に反発し、いつも不満な態度をしているケースがあります。ときには、陰にまわって会社や上司の悪口を触れ回っている輩もいます。自分の力が足りないのに、認めてもらえないことを組織や上司のせいにし、不満をぶちまけているのです。そんなに不満なら、そして自分は正しいと信ずるならば、潔く辞めればいいのに…。やはり今のご時世です。その決断もできないのでしょう。
不満や愚痴は、当人の“甘え”が根っこにあります。上司への“甘え”が認めてもらえないために、不満が鬱積し、それが溢れて愚痴となって出るのです。
上司に認められない彼らは、しまいには、“ふてくされ”“やけくそ”になります。上司がそんな彼らの感情に気を遣ってフォローすると、こんどは反対勢力が不満の声を上げます。
あちらを立てればこちらが立たず、こっちを立てればあっちが立たず・・・ああ、嘆かわしい!
甘ったれるな!と言いたい
昭和46年の発刊以来、ロングセラーを続ける「甘えの構造」を書いた土居健郎氏は、
「日本語には“甘える”という言葉以外に、多数の言葉が甘えの心理を表現している。」
と述べています。たとえば次のような言葉です。
「すねる」・・・素直に甘えられないから“すねる”のである。“ふてくされる”“やけくそになる”のは“すね”の結果として起こる現象である
「ひがむ」・・・自分が不当な扱いを受けていると曲解すること。これは自分の甘えの当てがはずれたことに起因している
「ひねくれる」・・・甘えることをしないで却って相手に背を向けることだが、それはひそかに相手に対し含むところがあるからである。だから甘えないように見えるが、根本的な心の態度はやはり甘えである
「うらむ」・・・甘えが拒絶されたということで相手に敵意を向けること
“甘え”を軸にして人間のこころの有り様を明快に解説しています。
さて、“甘え”の感情とは人によってその強弱はあれ、誰もが持っているものです。とくに相手と慣れ親しんだ人との間で、甘えの感情は強くなります。夫婦の口ゲンカは、甘えの感情を、言葉なり、行為でもって相手に受け止めてもらいたいのに、お互いの感情のすれ違いによって起こるわけです。
かといって、相手に甘える感情を夫婦それぞれがなくしてしまうと、砂を噛むような関係になるでしょう。甘えがあるからこそ、相互扶助、一致団結といった力が湧いてくる側面も持ち合わせています。
甘えると自立できない。しかし、甘えがあるから協力関係ができる・・・。
人間関係の難しさはこんなところにあります。
企業の経営という観点から“甘え”について考えてみます。
公共工事を頼りにしてきた建設関連業者。これらは政治的な力で受注できる構造に“甘えてきた”のです。自力で民間市場を開拓する力のない業者の近年は青息吐息です。
大手企業の下請けや、そのブランドで経営を続けてきた中小企業。これではいけないと思いつつ、大手の方針に“甘えて”おればある程度の飯は食えるので、体質が変わらないまま今を迎えています。
ほかには、長いあいだ大蔵省(現金融監督庁)の指導のもとで護送船団方式で守られてきた金融機関、保険制度に守られてきた医療業界、免許制で保護されてきた酒類販売業者、国家資格に守られたさまざまな資格ビジネス、などなど。
このように、誰かが作りあげた仕組みや制度に会社全体がどっぷり漬かり、“甘えの構造”から脱することができずに苦しんでいる企業が少なくないのです。
どんなに非難されても、どれほど憎まれてもかまわない!
近距離の運送会社から「クロネコヤマトの宅急便」に大変身したヤマト運輸も、事業当初は赤字続きでした。荷物は集まらない、社内のムードも盛り上がらない、古参の役員からは「もう一度、企業の大口荷物に力を入れるべきだ」との声が出る始末。この空気に危機感を感じた社長の小倉昌男氏は、逆に企業の大口輸送事業からの撤退を決断し、役員を説得して回りました。この決断によって小倉社長が捨て身の姿勢であることを役員はじめ全社員が感じ、やっと本気になって取り組んだといいます。
この時、小倉社長が古参役員の意見に引きずられて中途半端な判断をしていたらどうでしょう。今のヤマト運輸が存在しないことは明らかです。
このように、企業の改革とは複雑な人間模様の中でそれを打開する一筋の光を見つけることに尽きるように思われます。
では、どうすれば光を見出すことができるのでしょうか?
じつは、あちらを立てようとするのは、あちらから良いように思われたい気持ちが働くからであり、こっちを立てるのはこっちに良く思われたいと思うからなのです。まして、両方を立てるというのは、自分が両方から良く思われたい、認めてほしい、という気持ちが働いて判断しているのです。
この気持ちとはどんなものなのでしょう?
人を指揮・指導しなければならない人間であるのに、あちらとこちらの両方に自分自身が寄りかかっている甘えではないでしょうか?
「俺は、株主・役員や社員からどれだけ非難されても、どれほど憎まれても、そして退陣させられてもかまわない。会社が良くなればいいのだ」
経営者がプライドを捨て、資格や地位を捨て、帰る場所がない、という一人の人間としての腹決めをしたときに、はじめてそれは光り輝くのです。
“人は退路を断って、はじめて輝きを増す”
退路を断つとは、こころの奥底にある“自分に対する甘え”を断つことにあるのです。
新しい部門を任されたあなた、「いずれ元の部門に戻るから・・・」なんて甘い意識が少しでも頭の隅にあったなら、誰も本気でついてきません。人生はいつも片道切符ですから気をつけてください。
危機的な状態なのに、これからも社長業を続けられると思っているあなた、今、革新しなければ何もかもなくなりますから気をつけてください。まして、最後の切り札として「民事再生法がある!」なんて考えないでください。破綻しても経営者がクビにならない民事再生法では、どこか経営者を“甘えさせる”ところがあり、本当の再生はできません。