バイマンスリーワーズBimonthly Words
輝けジャパンスタンダード
新年明けましておめでとうございます。
昨年はバイマンスリー・ワーズをご愛読いただきありがとうございました。本年も続けて参りますのでどうぞよろしくお願いします。21世紀まであとわずかとなった年の始めでもありますのでグローバルな観点のお話からスタートしましょう。
グローバルスタンダードとは何か
巷ではメリルリンチ証券やシティバンクといった外資系金融機関の看板や広告が目につくようになりました。この現象は第2次世界大戦の後にGHQが上陸し、米軍兵がしていた敗戦国日本の風景と同じく、バブルの形成、崩壊という経済戦争に日本の金融機関が大敗を喫した結果です。これら外資系金融機関はとかく元気ですから積極的な営業を展開し、1200兆円といわれる日本の個人金融資産のとり込みに躍起になっているのです。
一方、日本の金融機関は都市銀行を中心に自分の守りで精一杯というところです。それは、貸し渋りという現象にはっきりと現れています。
日本の金融機関が貸し渋りをする根本原因は、国際的銀行としての評価を受けたいのならば、自己資本比率を8%以上にするようにという指示がBIS(国際決済銀行)から出されたことに始まります。この指示は1988年に出されたもので、当時の日本はバブルの真っ只中。各銀行は8%など容易に達成できるものと考えていましたが、バブル崩壊により一挙に難しいものになりました。都市銀行は自らの保身のために中小企業への貸し渋りを行い、すでに貸している資金を躍起になって回収しようとしています。BIS規制というグローバルスタンダード(国際標準)の枠にはめられた日本の銀行は、自らを守るために日本の土台を支えてきた中小企業を見捨てようとしているのです。
グローバルスタンダードの波は金融界のBIS規制だけにとどまりません。
メーカーを始め、建設業、サービス業などあらゆる業種で欧州諸国が決めた「ISO規格」が世界標準となってきています。94年の香港政庁の公共入札では「ISO9000」の取得を条件としたため、日本のゼネコンは入札にも参加できませんでした。アジア諸国に普及したJIS規格もISO規格にとって代わられようとしているのです。これもグローバルスタンダードの波です。
昨年4月から施行された貸倒引当金や賞与引当金の廃止、退職給与引当金の累積限度額の半減という税制改正も国際標準をにらんだ会計基準の変更といえます。
グローバルスタンダードの波に逆らうことは今の日本企業には到底できないのです。
賭博場と化した世界金融市場
次に気になるのが円や株の動きです。今年、日本の株価は回復するのか?、円高に振れるのか、円安なのか?いったいどうなるのでしょうか。
ここでグローバル化が進む経済において私達が認識しておかなければならないことがあります。
それは為替や株の動きなどは全く予想できるものではないということです。世界の金融市場はコンピューターが生み出したデリバティブ(金融派生商品)の急増を受けて、一日の為替取引高は1兆ドルを超えています。残念ながら、その大部分は投機目的の資本取引がほとんどで、実需部分は1%にも満たないのです。政府高官の発言や国際緊張の影響を受けて無責任に、そして無原則にこちらの通貨からあちらの通貨へと大洪水のように乗り移るその姿は地球全体でギャンブルをしているようなものです。実体経済とは大きくかけ離れたところで、人為的に、且つギャンブルのように行われる金融市場の予想をすること自体が危険なのです。
20世紀はアメリカの時代だったといってもいいでしょう。大量生産、大量消費、そして大量廃棄のアメリカ文化が日本全体を覆いました。その上にグローバルスタンダードの波が日本企業を直撃しているのです。
そして、残念なことにグローバルスタンダードの波に揺れる反動なのか、日本的経営を否定する意見が大勢を占めてきています。終身雇用、年功序列といった人事システム、商慣習、曖昧な意思表示など日本的経営の特長を自虐的とも思えるほどの自己否定が続いているのです。一方、それに変わってSCM、TPM、CRMといったカタカナのアメリカ型経営手法が大はやりで、コンサルタントの私でもこの情報についていくのがやっとです。
私達はアメリカを中心とした大量生産、大量消費、そして大量廃棄といったこれまでの経営姿勢を反省し、日本の風土に沿った21世紀に通用する経営手法は何なのか?を見い出すべきではないでしょうか。もちろん新しい経営手法を素直に学ぶ姿勢は重要ですが、これまでの日本的経営を全面的に否定する必要はまったくありません。
たとえば儒教の精神からくる“もったいない”、仏教精神の“ありがたい”、神から“バチがあたる”といった教えを基本とした日本的経営手法には、ねばり腰で強靭なものがあります。残念ながら、この教えに基づく行動は20世紀に影を潜めてしまいました。社員や顧客を大切にし、倹約しながらも社会に奉仕し、目先の利益より長期的展望に立つというジャパンスタンダード(日本の標準)の素晴らしさにあらためて気付くことによって日本企業に新しい成長が期待されるのではないでしょうか。
きらり輝くジャパンスタンダード
ジャパンスタンダードの原点は何百年も前から伝えられている老舗の「家訓」や「理念」のなかにキラリと輝いています。
商いは牛のよだれ
京都商法の中には「商いは牛のよだれ。馬の小便はするな」という格言があります。馬の小便は太く短時間で終わるが、牛のよだれは細いけれども粘りがあって長く続く。商売は牛のよだれのように細く長く、次の代に受け渡していくことが肝要だという意味です。多少、地味な感じで若い経営者には受け入れ難いかも知れませんが、長期的な観点で顧客のことを思えばけます。
正札掛値なし
高島屋の祖である飯田新七は以下のような家訓を残しています。
- 一、確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益をはかるべし
- 一、正札掛値なし
- 一、商品の良否は明らかに、これを顧客に告げ、一点の偽りあるべからず
- 一、顧客の待遇を平等にし、いやしくも貧福貴賎によりて差等を付すべからず
第二項の「正札掛値なし」は、定価がなく掛値(引き合う値段に上乗せすること)をして値引きするのが常識だった時代に、値引きは顧客を平等に扱わないという思想から打ち出したものです。この思想は、越後屋(現在の三越)の創始者、三井高利が世界で始めて打ち出したものと言われていますが、飯田新七もこれにならったようです。近年、声高に叫ばれている顧客第一主義の思想は300年前でも日本の商いの原点としてきちんと存在していたのです。
商いは的のごとし
三井高利は、「商いの道、何にても新法工夫いたすべく候。商いは的のごとし。手前よく調ふる時は、あたらずということなし」という遺訓を残しています。前段は何でも旧来からの方法にとらわれず、創意工夫せよということで、後段の手前とは準備段取りのことで今風に言えば戦略のこと。きちんと戦略を立て、創意工夫をせよということでしょう。
三方よし、と 先義後利
「三方よし」とは、売り手も買い手も、そして地域社会の人々も喜ぶ商いのこと。いつの時も自分の利益だけを考えるのではなく、顧客や仕入先はもちろん地域社会への奉仕を心掛けるように説いたものです。大丸の家訓は「先義後利」。自分の利は後にして社会のためになる商いをせよということです。老舗の多くは、倹約・節約・質素といった思想を旨とする家訓をもっていますが、決して守銭奴ではありませんでした。使う時には思い切って使い、利益の多くを地域社会に貢献せよとしているのです。
経営理念とは経営者の信念
何百年と続いた老舗の経営思想は近代経営の基本にもなっています。
ソニーの創業者、井深 大 氏が昭和21年の1月に東京通信工業株式会社(現在のソニー)の設立趣意書を起草していますが、その「会社創立の目的」の第一章は、
「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」
というものです。なんとおおらかで、夢のある言葉でしょう。そして、その後に続く経営方針の第一章にも頭が下がります。それは、
「不当ナル儲ケ主義ヲ廃シ、飽迄内容ノ充実、実質的ナ活動ニ重点ヲ置キ、徒ラニ規模ノ大ヲ追ハズ」
というものです。
“徒ラニ規模ノ大ヲ追ハズ”とはまさに老舗の発想であり、巨大になったソニーだからこそ深い味わいを感じます。そして、何といっても注目すべきは、井深氏が昭和21年1月という敗戦直後の混乱の中でこの理念を書いていることです。周りを見渡せば、今日一日食うのが精一杯で他人のことなど考えられないような人がほとんどだったのではないでしょうか。そんな中でも志を失わず創業者としての信念を、社員にそして自分自身にも言い聞かしたように感じます。
平成大不況はまだ数年続くでしょう。力のない中小企業はバタバタと倒れていくでしょう。しかし、命まではとられません。どんな環境にあっても、企業のリーダーであるあなたがおおらかな心と夢を失わず、信念を貫くことで明日が拓けていくのです。