バイマンスリーワーズBimonthly Words
和魂洋才
外資系金融機関が強烈な営業政策を展開
「今度買う家の住宅ローンは、外資系の銀行にします。」
初めて持ち家を購入することになったサラリーマンのS氏は、考えたあげくこんな結論を引き出しました。10年ほど前にマンションの購入を考えたことがありましたが、バブルの影響であれよあれよと地価が上がって半ばあきらめていたS氏でした。ところが、その後の地価下落に超低金利というおまけがついてやっとマイホームの実現となったのです。そこで最も頭の痛かった資金調達のことを研究していた彼は、これまで無縁だった外資系の金融機関であるシティバンクのことを知ったのです。
日本の金融機関の打ち出す住宅ローンの利率は、短期プライムレート(最優遇貸出金利、現在1.625%)に1%を上乗せした2.625%というのが通常です。ところがシティバンクのそれは、年利率がなんと1.2%という、日本の金融機関では考えられないような低金利でした。(変動型で1年ごとに見直し、その後は短期プライムレートに0.8%を上乗せするというシステム)S氏は3000万円の融資を受ける予定で、その利息の差は金額にして年間40万円以上にもなるのです。月々にすれば3万円以上の差をつけるシティバンクの利率は、S氏にとって強烈な魅力でした。
2年目からは大きな差がないことや、これまで付き合ったことがないことを考えると少し懸念するところがありましたが、彼の選択も納得のいくものでした。
金融面での植民地化が進む
外資系の金融機関が本格的に日本市場の奪取に向けて動き出しました。
とくに、1200兆円といわれている個人金融資産は外国の金融機関にとって大変な魅力で、日本の金融機関が不良債権の処理に追われているのを尻目に、ひたすら預金獲得に向けてあの手この手を打っているのです。また、邦銀の中堅行員に対する外資系金融機関のヘッド・ハンティングも活発になっています。それは、今の5割増しの年収を条件にした誘いだといいます。リストラに脅えているよりも、この条件に魅力を感じて籍を移していく金融マンもこれから増えていくでしょう。
ご存知のように日本の金融機関は長年の間、大蔵省の指導の下に「護送船団方式」の運営が行われてきました。ですから、金融機関の経営陣は顧客よりも大蔵省の方に関心を寄せてしまい、知らず知らずのうちにお役所体質が染み込んでいったのです。対面上は顧客志向のようですが、本質的には、自社の保全を最優先する政策を常に展開してきたのが今の銀行の姿です。
「晴れの日にはしつこく傘を借りてくれとは言うけれど、雨が降ったら貸してくれない」
という悪評が立ったのも、このようなことからきているようです。
そんなところへ、これまでの日本の金融機関とは全く違う方針や接し方をする外資系の金融機関がやって来たのですから一般の日本人にとって新鮮に映るでしょう。
銀行、証券、生損保などの金融市場を舞台に、提携・出資・買収といった業界再編劇はまもなく本番を迎えることになります。そして、その主役となるのが外資系の金融機関なのです。
これまでは銀行が危なくなると、大蔵省が裏から手を回し、邦銀同士で吸収や合併をするような指導をしてきましたが、近年は、各銀行に資金的余裕がなく、自行の運営で精一杯というのが実状です。
ここに、外資系の金融機関がおいしい餌をぶらさげて乗り込んでいるのです。
これから日本の金融機関が外資系の金融機関に買収されても、「提携」や「出資」といったような名目で生き残っていくでしょう。しかし、その実態は外国資本の企業になることなのです。
近年、「ウインブルドン現象」なるものが言われるようになりました。
世界で最も権威のあるテニストーナメントのウインブルドン選手権は、イギリスの地で全英テニス選手権として始まったものなのに、ご当地のイギリス選手は影を潜め、ドイツやアメリカを中心とする外国勢の選手ばかりがコートを占領しているという現象です。
日本の金融市場でも、ウインブルドン現象なるものが間近に起こってくるでしょう。日本の企業や一般市民が汗と努力で獲得した資金を、日本の銀行ではなく、外国の銀行が集めていくという一抹の不安を感じるようなことがもうすぐ起こることになります。
今の日本経済は金融面での「植民地化」に向けて進んでしまっているのです。
ほんとうの日本的経営は間違っていない
日本の金融機関は企業株を保有し、ときには役員を送り込んで企業に対する支配力を保ち、企業側も銀行株を持つことで資金調達のための関係を保ってきました。持ちつ、持たれつ、悪く言えば、もたれ合いの経営を続けてきました。
事態は一変し、不良債権の処理に追われる銀行は、資産を圧縮するために手持ちの企業の株を売り、企業側も長年保有してきた銀行の株を手放して、「持ちつ、持たれつの関係」を解消しつつあります。もたれあいの関係を続けているといざという時に当方がつらい目に遭うから、という心理も働いているのかもしれません。面倒なお付き合いで無駄な出費や時間も浪費しますし、気配りも要るでしょう。
このような日本の経営は間違っていたのでしょうか。何故、日本人はこのような経営をするようになったのでしょうか。
日本人は典型的な農耕民族なのです。
五月になれば水を引いて田植えをし、暑い夏が過ぎ、秋を迎えるとみんなで収穫をします。そして実りがあったことへの感謝と来年の豊作を願い、村をあげてのお祭りが行われます。このような生活習慣を通じて、お互いに手をつないで「協働」することの大切さ、水や太陽の恵みと周りの人から間接的な援助をうけることの「縁」の大切さ、そして、自然に対する畏敬の念を抱き、自然の流れに逆らわない「自然体」の大切さを学んでいったのです。日本人は約二千年もの間、このような暮らし方をして、生きるための思想を確立してきたのでした。
日本の会社経営も農耕民族の智恵である、協働、縁、自然体という思想の延長線上にあったはずです。
ところが戦後における経営は、共同ではあるものの、業界の中にいる者の利益だけを考えたヤミカルテルや談合行為が優先され、とくに指導者の利益を優先させるために作られた各種規制などは、度を過ぎた共同としか言えません。自分の村だけを守る、ほかは知らないという、利己的な域を出なかったのです。
これは日本的経営ではなくて、単なる戦後経営の特徴なのです。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」といいますが、助け合いや協調も度を過ぎると、もたれ合いや他に頼ってしまうことにもなりかねません。「協働」とは、自己責任意識に裏打ちされた自立心があってはじめて成り立つものです。いざとなったら誰かに助けてもらえるという甘えの体質が定着し、その村の中(会社の中)に居さえすれば安泰であるという、自己責任意識の希薄な人間を多く生み出してしまったことが植民地化に向かっている大きな原因の一つです。
海外企業の経営と融和させる
周りとの関係を大切にする日本的経営のあり方は、周りからの制約を受けやすくなります。時にはがんじがらめのような感覚になることもあるでしょう。経営とは、存続するために果てしなく自由を求めていく作業でもありますから、法規制や業界内での約束、人材や資金の不足といった制約からなんとか逃れたいと考えるようになります。
しかし、この考えが落とし穴にもなります。たとえば、資金があり過ぎると贅沢なことしか出来なくなり、いかにして最小限の投資で最大限の効果を上げるかという発想は生まれません。日本の製造業が発展した背景にはコスト削減という厳しい制約があったからなのです。最近の例では、日本のビール業界が低価格の輸入ビールの攻勢を受けた際に、「発泡酒」という節税ビールで対抗したのも酒税法という規制枠があったからこそ出てきた発想です。
「人」という文字は右下の棒が支えるだけの役割のように思いますが、実は左上からもう一方の棒が乗っかかりその制約の力のおかげで立っているという理屈と同じなのです。
人間は制約があるからこそ何とかしようとして智恵を絞り、創意工夫が生まれるのです。制約は人々の足かせになる一方で、ときには水先案内人にもなります。自由を求めることよりも、辛抱する中で活路を見出すというのが日本的経営の特長でもあるのです。
海外企業の経済的な攻勢の波は今となっては止めることはできないでしょう。その波はもちろん中小企業にもどんどん押し寄せてきます。ですから、外資系企業の経営のやり方を否定し、拒絶してもことは進みません。合理的で、スピード感溢れる経営の仕方は積極的に取り入れていく必要があります。
和魂洋才という言葉があります。
日本固有の精神を以って、西洋の学問や知識を学び取ることの重要性を説いたものです。これは和風と洋風を適当に取りあわせる「和洋折衷」とは根本的に違います。和魂は、勇猛で潔さを尊ぶ「大和魂」とは理解しない方がいいでしょう。それは、制約を抱えながらも強調し、攻撃的でなく、育てることに重きを置くという農耕発想から生み出された、「協働」「縁」「自然体」という思想なのです。このような「和」の思想を大切にした上で、西洋のやり方を積極的に取り入れていこうではありませんか。