バイマンスリーワーズBimonthly Words
景気後退より恐ろしい問題の先送り
景気後退が続き、業績が前年割れの企業が続出しています。月次レベルで、損益分岐点(Break Even Point)を下回り、資金繰りが悪化、経費の削減、設備投資計画の見送り、大幅な人員削減など、さまざまな打開策があちこちで打たれています。このような環境下に置かれると私達中小企業経営者はどうしても財務上の数値に関心が集中します。景気後退期に打つ手を一つまちがえば、命取りになることがわかっているからでしょう。財務上の危機に対し、社長自らが細心の注意を払い、明確な方針を打ち出すのは当然のことなのです。
しかし、財務上の危機に直面する一方で、人的資源の危機も訪れていることに気づかねばなりません。今、経済界では優秀な人材の企業間異動現象が起こっています。銀行・証券・保険などの業界を中心に一流大学を出た優秀な幹部候補生が、やる気をなくして続々退社、自分の可能性を発揮できる中小企業に身を託すのです。
価値観が多様・複雑化し、自己実現派が急増する社会において、景気が後退し、充分な動機づけ施策が打たれなければ、優秀な社員が離れ、そうでない社員だけが残るという最悪の事態も予想されます。
私は、仕事の関係上、人を動機づけるための考え方や方法についての研究・試行・法則化を行ってきました。その経験の中で、動機づけ理論どころか、“やる気をなくさせる理論”を実践されている経営者・幹部の多いことに気づき始めています。実は、私自身もその“理論”を知らず知らずに実践して優秀な人材の芽を摘んでしまい、今になって後悔している一人なのです。
“やる気をなくさせる理論”のいくつかのタイプを次にあげてみましょう。
a.やる気をなくさせる理論 -演出不足タイプ-
社員の努力や成果が認められる場が用意されていないために、自己の存在価値を認められず、徐々にやる気をなくさせているというパターンです。日本の経営者はとかくこの点についての学習が足りません。
この夏、バルセロナオリンピックは日本人選手の予想以上の健闘で幕を閉じました。“超人”たちは我々の常識を超えたトレーニングの成果を見事に私達に披露してくれました。選手たちはなぜあれほどの苦しいトレーニングに耐えたのか、なぜ動機づけされ続けたのか。それは全世界にマスコミを通じて注目され、入賞の暁には、その輝かしい受賞シーンが演出されているからなのです。選手たちはその演出された舞台で注目される自分の姿を夢見続けたのです。
ビジネス社会では、個人個人の努力の成果を披露できる場が極端に少ないことに気づきます。セールスマンの成果報告、工場改善の成果報告など、経営者からみれば、大したことでなくても、当の本人からすれば大変な努力の結果なのです。人間は自己の存在価値を認めてもらいたいという根元的欲求を持っています。この欲求を満たすための場が準備されていないためにやる気をなくし、人的資源が活用されないのは、誠にもって残念と言わざるを得ません。
b.やる気をなくさせる理論 -官僚型運営タイプ-
リーダーが自分のリーダーシップで統率できないために、規則や職制で社員を牛耳ろうとするためにやる気をなくさせているパターンです。官僚型リーダーの特徴は、
・自分の地位、役職に備わった権力を武器に人を牛耳ろうとする
・自己本来の能力を高める努力をしない
・部下からの企画や提案に対し、批判から入るが答は持っていない
・権威・権力には極端に弱い
ことがあげられます。官僚型の組織運営は時に社員個々人の人格をも抹殺するため、社員の個性を奪い能力開発が遅れ、当然の結果として企業の環境適応力を極端に低下させるのです。
c.やる気をなくさせる理論 -問題先送りタイプ-
意思決定権を持つリーダーが、自分に求められてきた問題に対し、体裁のいい理由をつけてその解決を先送りし、多大なる悪影響を組織全体に与えているパターンです。たとえば、あなたが大手企業の下請け加工メーカーのトップだとします。親会社からのコストダウンをはじめとするさまざまな要求に苦慮する若手幹部社員から「将来の我社のために今、研究開発に力を注ぎ、思い切った投資をすべきです」といった提案が出されたとします。あなたはこの提案は本質的な課題であることはわかっているのですが、高齢でもあり、自分がトップの間は無難に過ごそうという心理が働きます。そして「今は景気が悪く、親会社との関係もあるのでもう少し様子を見てからに‥‥」と先送りしてしまい、「とりあえず○○しておくように‥‥」と体裁だけは整えてしまうのです。
このようなことでは若手幹部社員は完全にやる気をなくしていきます。
・うちのトップは何を言っても取り合ってくれない
・何を考えても何をやっても無駄なこと
・だったらおとなしくしている方が得だ
といった答を出すのです。幹部社員のことですから一挙にその影響は組織全体に拡がります。
一橋大学助教授の伊藤邦雄氏は、このような現象を「学習性無力感」として表現されています。それは、今ここに障害物で隔てられた二つの部屋があるとします。そのうち一方の部屋の床に電流を流しておき、その部屋に一匹の犬を放つと、犬はすぐさま障害物を乗り越えて隣の部屋へ逃げ込む。次に電流の流れている部屋に犬をしばらく鎖でつないでおいてから、鎖を外してやると、今度は犬は障害物を乗り越えようとはしなくなるというのです。つまり犬は鎖につながれている間に学習を行い、少しぐらい悪い環境でも、慣れてしまえばわざわざ障害物を乗り越えてまで良い環境を望まなくなるのです。
まさにやる気をなくさせる理論の最悪のパターンです。
そしてこの「学習性無力感」の状態を作り出す最大の原因は、意思決定権を持つ人による“問題の先送り”にあるのです。
問題の先送りではあまり目立った現象は起こりません。しかし、組織全体に及ぼす悪影響の程度は景気の低迷どころではありません。それは知らないうちに体内に広がるガン細胞のように、組織全体に、そして社員一人一人の心の奥底にまでじわじわと侵入するのです。
問題の先送り現象は管理者レベルでよく見受けられますが、その管理者の上司がきちんと処置すればその程度は軽症で済むでしょう。
しかしトップによる問題の先送りは、確実に企業全体の力を弱体化させるのです。社員はトップのやってしまった失敗より、やらせてもらえなかったことによる未達成感に悔しさを憶え、そして失望感をも抱いてしまうことになります。