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バイマンスリーワーズBimonthly Words

いい加減な経営

2019年07月

究極の選択クイズを一つ。
「川であなたの母と妻が溺れています。
あなたは泳げるが、二人は泳げません。
さあ、どちらの方を先に助けるべきか?」

この問題は明治時代のある禅僧が禅の教えを説くために、
京都大学の倫理学の先生たちに出題されたものです。
儒教の立場では何よりも「孝」を重んずるから、
母を先に助けるべきだと主張する先生がいる。

いや、西洋哲学の基本原理は夫婦にあるので、
妻を先に助けるべきだ、という意見も出された。
あれやこれやで、なかなか議論はまとまりません。

「そんな議論ばかりしていたら、二人とも溺れ死ぬぞ!」
と禅僧は叱りましたが、それでも結論は出ません。
誰かが思い切って「御老師であれば…どうされますか?」尋ねました。
さて、禅僧はどう答えたでしょうか…。

~ あちらを立てればこちらが立たず 両方立てれば身が立たぬ ~
世の中には理屈では解決できない難題が溢れています。

コンビニ業界では深刻な人手不足により加盟店の負担が限界となり、
店舗ごとの実証実験を通じて24時間営業を見直しています。
お客様を優先するなら深夜営業を続けるのが筋でしょうが、
今は現場を預かる加盟店を救済すべきかもしれません。

貼ってある レッテル剥がして あるがまま

会社の中でも深刻な問題が起こっています。
親の介護と仕事の両立を有休などでやってきたが、
限界がきて、仕事をとるか親をとるかで悩む社員がいる。
なんとかしてあげたいが、経営者としてはどうしたものか…。

中途採用で人材不足を補う経営者の悩みもあります。
過去の経歴を信じて採用したが、結果がなかなか出ない。
ここらで配置転換を告げたいが、ならば辞めてしまうだろう。
経歴に偽りはなく、俺は人を見る目がないのか…と自信を失くす。

おっと … あまり引っ張ってもいけません。
母と妻のどちらを先に助けるか? の問題に戻します。
禅僧の答えはこうでした。
「わしか … わしであれば、まず近くにいる方を助ける」

自分から見ると、母であり、妻ではあるが、
それは自分との関係を表したレッテルにすぎない。
レッテルを剥がせば二人共”溺れているただの人間”で、
母か妻かという存在にとらわれるとどちらの命も救えません。

人間は様々なものを身につけて生きています。
代表的なものが地位や肩書きというレッテルですが、
それがその人の本質や実態を表しているとは限りません。
レッテルにとらわれると、迷いが生じて最適な判断は難しい。

よく話題にあがる「賞味期限」の問題も同じで、
食えるか食えないかは自分で判断すべきではないか。
表示された期限をうのみにして捨てるのはもったいないし、
現物を見て、においを嗅いで判断する能力も衰えていきます。

不要なレッテルは思い切って剥がしましょう。
そして、あるがままの相手にどう対応すればいいのか…。

人それぞれに"いい加減"がある

仏教の根本思想に「中道」の精神があります。
中道の意味は、二つのものの”中間”ではなく、
二つのものから離れ、矛盾対立を超えることだという。

仏教の教えをわかりやすく解説する ひろさちや氏は、
「中道」の意味を「いい加減」と訳しています。
「いい加減」は”無責任”や”中途半端”など、
良くない意味で使われますが、ここでは違います。

「”いい加減のお湯ですよ”というのは、
ぬるま湯でなく、熱い湯が好きなら熱い湯が、
ぬるい湯が好きならぬるい湯が”いい加減”になる。
いい加減には、”人それぞれのいい加減”があるのです」

東京と大阪の間の500㎞を歩いて行く例で考えてみましょう。
1日20㎞までが理想のペースで25日間かけて歩く人が、
無理をして1日40㎞も歩いたらこれは頑張りすぎです。
途中、ケガや病気で歩けなくなってしまうでしょう。

新しいマーケットの創造に挑戦する若さ溢れる集団なら、
毎年倍々ゲームで成長するぐらいの目標設定が”いい加減”。
一方、老若男女が様々な都合を抱えている社員が多い会社なら、
無理な成長は避け、組織の特性に合った成長スピードが好ましい。

「こんな方法がある」「あんなやり方もある」と様々な方法を受け入れ、
「さあ、あなたはどうする?」と、自分に最適なものを見出す。
経営における中道とは、一方にかたよらず、あるがままに、
社員一人ひとりが”いい加減”に働いていることです。

経営者の 心はいつも ニュートラル

日本には「人間は八百万(やおよろず)の神が棲む自然の一部である」という思想があります。
それは、一人ひとりに八百万が棲んでいて、それが刻々と変化をする。
ところが”人間は悪いことをするので契約を結んで管理をせよ”
という近年の監視社会は欧米型の思想にかたよっていないか…。

礼儀正しく勉強もできる子が近所の家の牛乳を盗んだとします。
今なら”とんでもない子”という烙印が押されるでしょう。
が、昔の人達はこの行為を”出来心”として受けとめ、
良い子という評価は大きく変わりませんでした。

人間には善と悪、積極と消極など多様なものが共存し、変化しています。
面接では過去の経歴は参考にしても、とらわれないで相対しましょう。
迷っていた配置転換も”ちょうどいい加減”と思われるかもしれない。
親の介護と仕事の両立ができるような個人別の人事制度があってもいい。

人材が不足し、多様な働き方を用意する必要性が高まっています。
ところが、その内容が公平感を欠き、納得性に乏しいと、
不平不満が起こって組織のバランスは一挙に崩れます。
だからこそ経営者の”かたよらない目”が大切なのです。

経営にオートマチック車はなく、マニュアル車しかありません。
ですから経営者の心は、常はニュートラルにしておいて、
いざとなったら状況に応じたギアチェンジができる…。
そんな”いい加減な経営”ができるようにしておきたい。

米中の貿易摩擦による経済戦争はいつまで続くのか?
この摩擦が血を見るような悲惨な戦争に発展しないように、
戦争好きの米国につくのか、敵対する中国と協調するのか…。
両国の間に立たされている私達がここで判断をまちがえてはならない。

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