バイマンスリーワーズBimonthly Words
天火同人
~ ミックスジュースでなく フルーツポンチです ~
個性をすりつぶし、わからない状態で混ざり合うのではなく、
食感、色、味わいなど、それぞれの個性を生かしつつ、
混ざり合うことが真の共生社会につながるという。
全盲の金メダリスト 河合純一氏の言葉です。
河合氏は生まれつき左目の視力がなく、15歳で全盲になりました。
パラリンピックの競泳で92年バルセロナ大会を皮切りに、
6大会連続出場して日本人最多21個のメダルを獲得。
現在は日本パラリンピック委員会の委員長の重責を担う。
個性を互いに生かし合える社会を理想とし、
差別や偏見のない真の共生社会の実現を目指す。
「オリンピックは“平和の祭典”とよく言われますが、
パラリンピックは“人間の可能性の祭典”です」という。
競技レベルを単純に比較するとオリンピックが「主」で、
パラリンピックは「従」というイメージになります。
しかし、違う目標をもつ選手が同じ競技場で技を競い、
それぞれの個性が尊重されるように運営されています。
それは日本独特の「神仏習合」の思想に近いものがあります。
「習合」は“融合”ではなく「重なる」という意味で、
「神社には神が」そして「仏閣には仏が」存在し、
決して神と仏が融けたわけではありません。
異質な相手を尊重するフレーズ 「知らんけど」
日本には古来より自然の山や巨岩を神とする神道がありましたが、
6世紀に仏教が入ってきた時、神道は「出ていけ」とは言わなかった。
ここで神道と仏教が重なり「神仏習合」となったわけですが、
これは世界中どこにもない日本文化の象徴といえます。
代表例では、日光東照宮の二荒山神社と輪王寺、
和歌山の熊野那智大社と青岸渡寺などが姿を残します。
「お宮参りは神道、葬式は仏教」という日本人の信仰形態は、
外国の人から見ると、あり得ないことに映るようです。
大阪の名物になっている電車の中で見ず知らずの人に、
「アメちゃんいる?」と声をかけてくるあのオバちゃん。
あの大阪のオバちゃんのフレーズに「知らんけど」があります。
「~やでぇ」と断言した後に、「知らんけど」をくっつけるのです。
「自分はこう思っているけど、他の人がどうかは知らないよ」
という意味で、お互いの利害が完全に一致しないことの前提です。
人間関係において異質な相手を尊重する会話の習性でしょうか、
「知らんけど」も神仏習合の風土から生まれたのかも知れません。
多様化が進む企業も様々な個性と価値観をもった人の集まりで、
いかに異質な人と対立せずに、各人が力を発揮するか…。
特に幹部同士が対立すると、ヨコの部門間で確執が生まれ、
それは中小企業でも派閥に発展し、社員の心はバラバラになります。
対立がトップと後継者のタテの関係であれば、
親子や師弟の関係を越えた権力闘争になるケースもある。
人間関係のトラブルは経営者にとって避けることはできません。
トラブルに巻き込まれず、すんなり収まる方法はないものか…。
「志」を同じくするには 陰と陽の補完関係をいかに保つか
中国の古典 易経に「天火同人」の話があります。
「天」に向かって「火」が燃え上がっている様を表し、
「同人」とは、同じ「志」を持った仲間のことをいいます。
違う二つの存在が、同じ方向に向かうことの大切さを説いています。
ここでカギとなる「志」とは何なのか?
金儲けがしたい、有名になりたい、出世をしたい…。
これらは己の欲望を満たすものであり、志とは呼べない。
また、私利私欲が強い人間の集団はあっけなく崩壊してしまう。
「経営者の志」とは、己の欲望を捨て去った先にあり、
己の人生をかけた使命感に裏打ちされたものであって欲しい。
それは私心を捨て、公に尽くす「滅私奉公」の精神に溢れています。
ところが、どれほど素晴らしい志であっても共有するのは難しい。
「天火同人」の教えに沿って、経営者が志を掲げても、
またその精神を企業理念や社訓として打ち出しても、
社内で不協和音が聞こえてくるのはなぜなのか?
その解決のヒントが「神仏習合」の謎にあるかも知れません。
神と仏が「陰と陽の依存関係」で成り立っている状態です。
「陰と陽」は優劣の判定や、主従関係を表したものではなく、
相手との関係によってその役割が変化するという特性があります。
ある時は「神が陽」、ある時は「仏が陽」となり、
その都度、お互いが補完するような役割を担います。
このような関係であればお互いが異質な存在であっても、
同じ方向に向かうことができる、というわけです。
トップと後継者の問題を陰と陽の関係で考えてみましょう。
後継者が入社した頃はトップが「陽 」で、後継者が「陰」ですが、
後継者が力をつけてくると徐々に「陽」と「陽」の関係に変化します。
さあ、ここでトップがどのように考え、後継者がどのように振る舞うか…。
経営トップもいずれは「陰」になって去ってゆき、
「陰」であった後継者もトップになれば「陽」になる。
「天火同人」は、陰になったり、陽になったりしながら、
その時にぴったりの助け合いをせよ、と説いているようです。
曲がったり ぶつかったりして 成長する
ワンマン経営では到底乗り切れない時代です。
デジタル戦略とリアル戦略、最新技術と伝統技術など、
戦略的な課題は多岐にわたり、求められるレベルも高い。
それらはすべて重要な経営課題となっており、
課題ごとに優秀なリーダーを置く必要があります。
とくに新しい時代を担う若い人の台頭が望まれますが、
それはフルーツポンチのように、個性ある人達であって欲しい。
人間の可能性を追求してきた河合さんはこう語る。
「見えなくなってからの水泳の方が、非常に面白いですね。
見えなくて曲がってしまうこと、壁にぶつかってしまうことも含めて、
やりがいのあるスポーツになった気がします」
社内には人材がいない、と悲観的に考えるのではなく、
時代が変化する今こそ人間の可能性を信じたい。
先を見ずに曲がったり、ぶつかったりしながらも、
たくましく成長する若い人にチャンスを与えましょう。
パラリンピアンは過去に何らかの喪失体験をし、
どん底から這い上がってきた精神力を持っています。
オリパラがいかなる形で開催されるかわかりませんが、
鋼のような精神力で難関を乗り越えていただきたいと思います。
長らく「陽」の立場で世界を牽引した米国でしたが、
中国の台頭により「陽と陽」の対立が鮮明になっています。
「天火同人」は困難な時代の教訓として語り継がれてきました。
近いうちに陰陽の逆転が起こるなら、平和裏に進むことを祈ります。