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バイマンスリーワーズBimonthly Words

貧乏神と福の神

2021年09月

ある家に豪華な衣装に包まれた美しい女性がやってきて、
「私は吉祥天です。福徳を授けに来ました」と告げました。
家の主人は大いに喜んで、家の中に招き入れようとしましたが、
後ろからもう一人、みすぼらしい女性が一緒に入ろうとしています。

こちらは醜い風貌で「お前は誰だ!」と主人が問いただすと、
「私の名は黒闇天。私の行くところ必ず災厄がおきます」
主人は貧乏神に入ってこられてはたまらないので、
「お前は早く消え失せろ!」と、怒鳴りつけました。

ところが黒闇天は大声で笑って言いました。
「さっき入っていった吉祥天は私の双子の妹です。
私たち姉妹はいつも一緒に行動しているので、
私を追い出すと妹の吉祥天もこの家から出て行きます」

福の神だけにやってきて欲しいのが山々ですが、
吉祥天と黒闇天が双子の姉妹なら仕方ありません。
主人は泣く泣く二人一緒に出ていってもらいました。

この話は『涅槃経』という原始仏教の経典にある説話ですが、
私たちにいったい何を伝えようとしているのでしょう。
「繁栄」と「貧困」、「成功」と「失敗」のように、
人生は表裏一体のものだということでしょうか。

福の神の信条は「人に誠意を尽くすこと」

『鉄腕アトム』『火の鳥』などの傑作を生んだ漫画の神様 手塚治虫。
日本のアニメーション産業に進出した起業家でもありましたが、
急成長にマネジメントが追いつかず、あえなく倒産します。

手塚は漫画家で築いた財産のすべてをアニメ事業で失い、
貧乏神が棲みついたのか、個人でも多額の借金を背負います。
四百坪の邸宅を売って、家族全員が狭い借家に移る案も出ており、
そんな二進も三進もいかない状態のところに福の神がやってきました。

「難儀なことですな先生。私、お世話になったお礼心です。
この後始末は及ばずながら私がお手伝いしましょう」
こう切り出したのが大阪のベビー用品メーカーの社長 葛西健蔵氏でした。

葛西氏の会社の商品に『鉄腕アトム』を使ったのがご縁でした。
自らが債権者にもかかわらず、債権者に追われる手塚を救うため、
手塚作品の版権すべてを自分の名義に書き換え、散逸するのを防ぎました。
“ややこしい債権者”の矢面に立って、“漫画の神様”を守り抜いたのです。

「何よりも人に誠意を尽くすことです。
 他人のために精一杯尽くせば、どんな不祥事でも納得して貰えます。
 人のために尽くすことは、いつか自分に返ってくることです」

葛西氏はなぜ手塚を救ったのか?
「お世話になった恩返し」とのことですが、
その奥には体験から生まれた深い人生哲学を感じます。
手塚は葛西氏によって「目のうろこが取れた」と語っています。

貧乏神と福の神は心の中に棲んでいる

~ 人は誰でも50%の利己心を持っている ~
手塚の人生に再出発の道筋をつけた葛西氏の言葉です。

「人はみんな50%の利己心を持っておって、
 それが1~2%でも大きい人は、結局人に嫌われます。
 逆に50%の中のわずかでも人のためにという気持ちがあれば、
 それだけ人に好かれます。もっと大きければそれだけ尊敬を受けます」
        (『くじけそうになった時に読む本』PHP研究所刊 より)

利己心を否定せず、誰もが持っているという考えに妙に共感を覚えます。
その利己心にわずかでも“利他心”を加えると人生が好転し、
利他心がもっと大きくなれば、人から尊敬される。
なんと簡潔でわかりやすい人生哲学でしょう。

そうか…そう考えると、ふと気づくことがあります。
私は貧乏神と福の神はどこかからやって来ると思っていました。
ところが、それらは利己心と利他心が姿を変えたもので、
どちらも自分の心の中に棲んでいるのではないか…。

そして50%の利己心が、わずかでも利他心を起こすと福の神になり、
立派な利他心でも実践しなければ、利己心に戻って貧乏神となる。
じつは福の神が貧乏神であり、貧乏神が福の神にもなる…。
こんな関係が双子の姉妹の意味なのかも知れません。

葛西氏の尽力のおかげで第二の人生を切り開いた手塚は、
「明日、借家に行きます!」と晴れ晴れとした声で報告したという。
全財産を失いましたが、再び漫画に集中できる環境を取りもどし、
中断していた『火の鳥』を再開、『ブラック・ジャック』も大ヒット。
過去の作品も続々と再刊されて“漫画の神様”として復活を遂げました。

良質な利己心は 純粋な利他心を生む母である

利己心は必ずしも悪いものではありません。
経済面や精神面で他者に迷惑をかけないように自立し、
生きるための最低限の利益や立場を求める心は良質です。

そんな良質な利己心によって最低限の欲求が満たされて、
他者に対して貢献したいという純粋な“気持ち”が湧いてくる。
つまり良質な利己心は、純粋な利他心を生む“母”でもあるのです。

「漫画を描くのをやめて経営者に徹すべきだ」
手塚は労働組合からこんな無謀な要求を受けましたが、
漫画家が天命であることを固く信じ、己の信念を貫きました。
その結果、漫画を通じて知恵と勇気を与える“福の神”になりました。

何らかの事情で経営ができなくなっても、悲観する必要はありません。
この世に生まれ、本当にやりたかったことで再出発すればいい。
自分がやっていることは、本当にやりたかったことなのか…。
今回の禍は己の人生を見つめ直す機会なのかも知れません。

長引く禍に業種によっては今も出口が見えない経営が続いています。
中には「貧乏神が棲みついた」と感じる人もあるでしょう。
でも、わずかでもそこに純粋な利他心があるならば、
それは福の神だったと思える時が来るに違いありません。

日本選手団の活躍でメダルラッシュの東京五輪でしたが、
「まさか…!」の失策で涙を飲んだ選手もたくさんいました。
やはりそこにも「栄光」の裏に「挫折」が潜んでいたのでしょうか。
今回の悔しい思いをバネに、それぞれが再出発されることを願っています。

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