バイマンスリーワーズBimonthly Words
生きがいの源泉
~ ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず ~
鴨長明の『方丈記』 冒頭の一節です。
川の水は絶えることなく流れ続けているが、
決して元の水ではなく、新しい水が流れている。
一見、変わらないような川の姿に無常を感じます。
創業経営者が活躍したかたわらには、
当時の会社を支えた社員がいたでしょう。
時代は移り変わり、今は若い社員が会社を担っている。
企業が存続・発展する足元には必ず時代を支える人達がいます。
鴨長明は人の移り変わりも川の流れと同じだと続けます。
~(中略)朝(あした)に死に 夕(ゆうべ)に生るゝならひ、ただ水の泡にぞ似たりける
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る ~
「朝に死んで夕方に生まれる、人は水の泡のようなもの。私にはわからない、
生まれる人、死ぬ人が、どこから来てどこへ去っていくのか……」
昔は人生50年だったが、今は「人生100年」と言われます。
ところが地球が生まれて46億年、宇宙が誕生して137億年になり、
その悠久の時間から見ると、文字通り人間の一生は「一瞬」にすぎない。
こう考えると人間の一生は、水の泡のように「はかない一瞬」かも知れません。
経営者は一人でも多くの社員が、元気で活躍して欲しいと願う。
病気やケガに遭っても、仕事が不振に陥(おちい)っても、前向きにとらえ、
はかない人生であればこそ、充実したものにして欲しいと心から願う。
しかし、人間関係に苦しみ、やりがいが感じられず、続かない社員も多い。
人は何度も生まれ変わる
経営心理学者でカウンセラー、元 福島大学経営学部の教授 飯田史彦(ふみひこ)氏。
1996年に出版したベストセラー『生きがいの創造』を通じて、
「死後の生命」や「生まれ変わり」の研究成果を発表し、
多くの人達に「生きる勇気」を与えてくれました。
現在、飯田氏は教授職を辞し、無償でカウンセリングを行う研究所を京都で設立。
医療・福祉・教育機関を中心に、講演などの社会福祉活
動をされています。
飯田氏の「生まれ変わり」の考え方はこうです。
この世の全てのことには意味があり、自分の人生は自分に与えた問題集である
そして自分を取り巻く人々は、愛してくれる人も、敵対している人も
自分の成長のために存在してくれていることを知った時
我々の人生観は大きく揺さぶられる
大切な近親者を亡くされた人は
この世での勤めを無事に果たして帰還したこと
いずれはあの世で再会でき、そしてこの世においても
常に私たちのそばでやさしく見守ってくれていることを知る
重病や障害に苦しむ人は、それが誰のせいでもなく
自分自身で計画した試練であり、重要な理由があること
その試練に打ち勝てば、大きなご褒美が用意されていること
また次回の人生では、再び完全な身体として生まれ変わることを知る
(『生きがいの夜明け』より要旨抜粋)
経営学者なのに宗教か、精神世界の研究か、と批判もありましたが、
「退行催眠」と呼ばれる、精神医学の治療方法を用いることで、
「人は何度も生まれ変わる」ことを科学的視点から解説しました。
私も20年前にこの本に出会い、今も人生観の「縁(よすが)」になっています。
人が何度も生まれ変わるのであれば、
同じ川をもう一度、流れることができます。
過去生や死後の生命を科学的に論じた内容ですが、
飯田氏のいう「生まれ変わり」は本当にあるのでしょうか?
働くことは功徳である ~ 働き方改革の本質は何か? ~
有効求人倍率はバブル期の水準を超え、時短、子育てや介護支援など、
企業の「働き方改革」は、待ったなしの状況にあります。
しかし、働く人の環境や仕組み作りに振り回され、
「働かせ方の改革」に陥っていないだろうか?
欧米人は宗教の影響もあるのか、労働を「罰」と考え、
できるだけ働かず、長い休みを取りたがる傾向にあります。
一方、日本人は「働く」ことは「傍(はた)を楽(らく)にする」善行であり、
何よりも、働くことは幸福をもたらす「功徳(くどく)」になる、と考えます。
飯田氏は「働きがい」と「生きがい」についてこう語ります。
真の「働きがい」を得るには「生きがいの源泉」つまり
「なぜ、自分は生きているのか」という根本命題について
自分なりの回答を見つけ出しておく必要がある (『生きがいの経営論 CD』より)
嫌々で行う仕事や、誰かにやらされる仕事に魅力はありません。
「働き方改革」とは、働く環境の改革だけでなく、
「働く人の意識改革」ではないか。
それとまったく同じことが経営者にも言えます。
経営者の「生きがいの源泉」つまり、
「なぜ、私は経営するのか」について、
自分なりの回答がなければ、経営のやりがいは得られない。
創業経営者の心の奥には、創業をした「根本動機」が残っています。
「私は、〇〇さんの喜ぶ顔が見たいからやっている」
「俺は、△△さんを守り、幸せにしたいんだよ」
素直な心根(こころね)がこんこんと湧き出る、これが「生きがいの源泉」です。
ところが二代目以降になると、そこに変化が生じます。
「なぜ経営者になったのか?」が不明確なまま、
いたずらに経営者人生を過ごしている後継者がいたり、
「生きがいの源泉」を完全に見失った経営者がいるのは残念です。
「創業の源泉」に頼らず 新しい「生きがいの源泉」を
人間の「生まれ変わり」が本当にあるのかどうか?
といった議論の答えは、もうどちらでもいいでしょう。
重要なのは、「生まれ変わり」の考え方を持つことによって、
この世での生きがいを取り戻し、救われた人がいるという事実です。
川の流れを創った創業者の源泉は、目に見えない心の財産です。
将来を担う人達は、この源泉を絶やさないだけではなく、
その源泉の恵みに頼ってばかりでもいけません。
ぜひ、自分が納得する「生きがいの源泉」を持ちましょう。
新しい源泉から出る水が、絶えることなく流れていく……。
そして、その水が大地の隅々を潤し、人々の生活を豊かにする。
このようにして日々、川も生まれ変わり、会社も生まれ変わるのです。
「生きがいの創造」がベストセラーになった時代は、
バブル崩壊後の不況に加え、阪神淡路大震災の直後でした。
人は災害や不況の時ほど、生きる道を真剣に考え、人生は深まる。
空前の売り手市場の今、人生を安易に考える若者が増えないことを祈ります。
鴨長明が『方丈記』を著した時代は地震や飢饉が多かった。
私たちは、生々流転する大自然の営みの中に生かされているが、
「経営」という仕事を、天から与えられたことに畏(おそ)れ多くも感謝する。
それは「一瞬」にすぎないが、持てる力を出し切ることでその使命を果たそう。
~ 八月や 六日 九日 十五日 ~
過去、幾人もの人が反戦への思いを込めこの句を詠んだ。
あの忌まわしい原爆が落とされた日、終戦の日を忘れまい、と。
古来よりお盆は祖先の霊が帰ってくるのを家族で迎えて、また送りだす。
宗教行事とはいえ、日本に残る素晴らしい心の文化、いつまでも大切にしたい。