バイマンスリーワーズBimonthly Words
己こそ 己の寄る辺
~ 押しつけの憲法 ~
戦後まもなくGHQが日本国憲法を押しつけてきました。
最大の狙いは、戦争を放棄させて日本の牙を抜くことでした。
そして70年間、一度も変えなかった、いや変えることを許されなかった。
そんな日本国憲法は世界最古の憲法になりました。
現在の首相は、自主憲法制定が悲願だった岸信介元総理の孫。
最大の使命は、現在の憲法を自主憲法に改正することにあります。
集団的自衛権の問題で憲法解釈の見直しが実現すれば、緊急性は薄れますが、
長期化が予想される現政権であるため、戦後初めて憲法が改正される可能性が出てきました。
変えるべきか、変えざるべきか…。
そんな議論は小国家の中小企業にも渦巻いています。
とくに多くの後継経営者が次のような悩みを抱えています。
父親の会社をなんとなく引き継いだ。
押しつけではないが、親が敷いたレールです。
若い頃は分からないことばかりで大人しくしていたが、
尊敬する父親のようになりたいと素直な夢を描いていた。
それなりの年齢になると経営に関わるようになり、
父に追いつき、追い越したいとの思いを抱くようになります。
父への憧れだったそれは、権力者に対するライバル心に変化し、
心の中では対立することが多くなり、それが言動の端々に表われます。
後継者が逆らうのは 甘えの表われ
息子と父親は、そう多くを語り合いません。
報告・相談を怠り、父親の知らない行動が増える。
そして、来たる時がきて、後継者が代表権をもちます。
父親は大幅に権限を譲りますが、権威は衰えていません。
後継者にバトンが渡って、運よく進展することもありますが、天は必ず試練を与えます。
「先代がいつまでも口を挟むから、思い切った経営ができない…」
と、知らず知らずのうちに父親のせいにする後継者。
幹部が育たず、業績は低迷し、新しいことをやっても軌道に乗りません。
父親が敷いた経営方針を、時代にあった自分なりのものに変えたい…。
後継者にとっての父親は、ズシッとした動かしがたい存在です。
父親もスキッとした気持ちで交代した訳ではありません。
「今の息子の力で、会社を切り盛りするにはあまりにも頼りない…」
そんな父親もいつかはいなくなる日がやって来ます。
これまで先代社長に悉く逆ってきた後継者でしたが、
いざ一人になると、自分の心の中にある甘えに気づくのです。
先代の経営に対する考え方、厳しくも深い自分への教えが思い出される。
できるならもう一度会って詫びたい、教えを乞いたい、そんな思いを抱きます。
~ いくたびも 背きし父の 墓洗ふ ~ (福島県南相馬市 俳人 西内正浩氏)
かつては随分と反抗し、何度も父の意思に背いてきた息子。
亡くなった父の齢に近づくと遠き日の父の思いや苦悩が痛いほどわかる。
墓を洗いながら生前の父を偲ぶ息子の心を詠んだ句です。
自責の人と他責の人とでは 成長が違う
「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そして、その違いがわかる知恵をお与えください。」
アメリカの神学者 ラインホルド・ニーバーによる「ニーバーの祈り」です。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で有名になったマイケル・J・フォックスが、
この映画に出演した30歳の時、不治の病といわれるパーキンソン病を発病。
マイケルは、病から逃れるようにアルコール依存症にかかりましたが、
運命を変える言葉、「ニーバーの祈り」に出会ったのです。
マイケルは、パーキンソン病は「変えられない」けれども、
アルコールに依存した生活は「変えられる」ことに気づきます。
これを機にマイケルの生活は「変えられること」に挑戦する日々に変わりました。
「この病気にならなかったら、僕はこれほど深くて豊かな気持ちにはなれなかった。
だから僕は、自分をラッキーマンだと思うのだ」(ラッキーマン:マイケル・J・フォックス著)
良からぬことが起こった時、自分に責任があると考える「自責」と、
自分以外に責任があるとする「他責」の考え方があります。
他責の人は他に原因を求めるので、本人の行動変化は少なく、
愚痴を並べるだけですから、いつまでたっても問題は解決しません。
一方、自分の問題として考える自責の人は、
自分の行動を変えるのでドンドン革新が進んでいく。
行動を革新する人は、失敗しながらも確実に前進している。
ですから自責の人と、他責の人ではその成長に雲泥の差が出ます。
経営には革新が不可欠です。
自分で変えられるものに気づいたら、
勇気を持ってドンドン変えていけばいい。
肝心なことは”変えてはならないこと”を押さえておくこと。
では、経営者にとって”これだけは変えてはならないこと”とはいったい何か?
自分以外には 頼らない
~ 己こそ 己の寄る辺(べ) 己をおきて 誰に寄る辺ぞ ~
「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」
釈尊の教えを説いた仏典「法句経」にある言葉です。
「自燈明 法燈明」(自らを灯とし、法を灯とせよ)の教えに基づくものであり、
「自らを灯とし」が先にあって「法を…」が後にあることに意味があります。
釈尊の説いた法に忠実になり過ぎて、仏法の奴隷になってはならない。
まず自分自身を拠り所にせよ、が「己の寄る辺」の教えです。
この思想は「自己確立」を重視する少林寺拳法の根本精神にもなっています。
「己こそが、自分の”頼れる人”となれ!
自分自身がしっかりすべきで、他人に頼るな、甘えるな。
自分をしっかり鍛えることこそが、真に頼れる人となるのである。」
さすが武闘の世界、ズドンと魂に響いてきます。
長年続いている名家の多くには、代々守り継がれた「家訓」があります。
しかし、家訓の通りにやってうまくいかなかったら、誰のせいにするのか…。
家訓は大切にすべきだが、家訓に頼る経営であってはなりません。
「自分以外のものには、頼らない!」
もちろん親を敬い、周囲の人と協調することは大切です。
しかし、そこには頼らず、自分自身を頼みとする信念が、ブレない軸になっていく。
“これだけは変えてはならないこと”とは、あなたの中にあったのです。
まずは当面の経営を安定させましょう。
そして、小さくてもいい、他者に依存しない、
責任転嫁もしない、将来に亘って自立できる会社にしましょう。
我社の将来を政治家や大会社に預けてはなりません。
あてがいぶちの憲法にいつまでこだわるのか、という意見があります。
変えるべきか、変えざるべきかの前にブレてはならないことがある。
未来の子供たちのために、やはり戦争はいけない。
争いではなく、知恵と勇気を伝えていかなければなりません。