バイマンスリーワーズBimonthly Words
わりきらない
「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ!」
10年前、トヨタ自動車会長であった奥田碩氏の発言です。
リストラをすれば、株価が上がるという異常な風潮に憤慨し、
企業にとって従業員の雇用こそ最も重要な施策であるとの主張でした。
従業員が過剰になった原因は経営者にあり、
過剰人材は新しいビジネスなどに生かすのが経営者の義務ではないか。
それが守れないのなら、当然、経営者は腹を切るべきだという。
多くの経営者が株主重視に傾いた頃で、大いに共感したことを覚えています。
今は相談役となった人の10年前の発言とはいえ、
あれは従業員の雇用は守るという約束であったはず。
「派遣は雇用でない」と言い切ればそれまでですが、そう割り切れるものでしょうか。
“派遣切り”を真っ先に進めたトヨタ経営陣の判断は全世界に影響を与えたのです。
新卒者の内定を取り消した企業が3月末で404社、学生は1845名にも上ります。
本来ならば、今頃は新人研修を受け、早い人なら戦力として働いていたはずです。
今回の経験は学生たちに、どれほどのショックを与えたか…。
懇切丁寧に説明し、金銭的償いをしても「裏切られた…」という感情は拭えないでしょう。
内定を取り消された学生が、必ずしも不幸であるとは言えません。
しかし、経営者の判断が彼らの人生に深く関わっていることは間違いない。
学生たちの心の向きが、世の中や、大人に対して恨みを抱くことがないように、
約束を破られた経験を前向きにとらえ、強い人間になってくれることを祈るばかりです。
約束を破ることは許されない。しかし...
早いうちから引退時期を宣言する社長も少なくありません。
「60歳で引退する」「10年後に交代する」といった引退約束です。
優秀な人材がズラッと控える大手企業ならば、効果的でしょう。
ところが、人材不足の中小企業では、なかなか交代できる条件が整いません。
そこへ業績が悪化すると、
「この状態で交代するのは危険である」
という判断が下されて、約束はどこかに行ってしまう。
社員からすると、あの引退宣言はウソだったのか? となるでしょう。
雇用を守る約束、採用内定の約束、そして社長を交代するという約束…。
将来に判断すればいいことでも、経営者は早くから決めなければならないことがある。
経営者は、そのことを考えた時は”必ず約束は守る”と、腹の底から思っています。
ところが…皮肉なことに約束が果たせない事態になることがある。
従業員を解雇する、採用内定を取り消す、社長交代を延期する…など。
このような経営判断は考えもしなかったし、できることなら避けたいところでしょう。
約束を違えることはリーダーシップを低下させ、経営者としての信頼を失う。
しかし、前言を翻してでも新たな手を打たなければ会社の存続が立ち行かない。
今、多くの経営者がギリギリのところで、右か? いや左か? の決断に迫られているのです。
会社の中は矛盾の縮図
文芸作家であった亀井勝一郎氏が語りました。
~ 割り切りとは、精神の弱さである ~
この言葉は、ソフィアバンク代表の田坂広志氏が書籍の中で紹介し、
経営者の判断軸として注目されるようになりました。
世の中は矛盾だらけで、会社はその縮図のようなものです。
少しでも人件費を抑えたい経営者と、収入を上げたい従業員との関係は矛盾の代表格。
近年、多くの企業がいざとなれば簡単に契約解除できる”派遣”という方法をとっています。
様々な雇用トラブルを経験してきた故の経営ノウハウともいえるでしょう。
かといって、人の問題をあっさりと割り切れるでしょうか?
社内の人間関係や、雇用に関する問題は経営者が避けては通れない問題。
人は面倒なことに巻き込まれると「どちらでもいいので早く解決して…」と思いたくなる。
それが正しいか否かは別にして、あっさりと割り切るのには”逃げ”の心理もあるのです。
経営者は部下の情に流されてはならない、という考え方がある。
一方、人の意見を聞いて人間尊重の決断をすべきだ、という意見もある。
人の問題というものは、どちらの考えが正しいか、と割り切れるようなことではありません。
経営者の仕事は、最後まであきらめず、あらゆる角度から打開策を考え抜くことに価値があるのです。
創業以来、一度も赤字を出していないという会社があります。
しかし、急激な不況は優良企業に対しても試練の雨を降らせている。
あくまで黒字経営を続けるには、思い切ったリストラが必要になるでしょう。
しかし、雇用を優先させるなら、面子を捨て、黒字経営を断念することも必要なのです。
共存共栄の極意とは
京都の今宮神社の門前には、名物の「あぶり餅」を売る茶店「元祖 一文字屋和助」があります。
長保2年(1000年)創業といいますから、なんと千年以上の歴史です。
ところがその向かいには、同じあぶり餅を売る「本家 かざりや」が店を構えている。
片方が「元祖」で、もう一方が「本家」を主張し、対立したまま何百年と続いています。
両家の間にはいくつかの暗黙の了解があるらしく、
例えば、客引きは互いに中央の石畳には決して入らず、強引でなく上品であること。
また、あぶり餅はどちらも同じ料金で、営業時間も定休日も同じにすること、など。
長年にわたる矛盾の競争から生みだされた、共存共栄の極意なのかも知れません。
ライバルとの関係は、勝てばよし、と割り切れるものではない。
うっとうしい上司、面倒な部下との関係も切るに切れない関係になっている。
しかし、割り切って相方との関係を寸断すると、自分自身の存在価値もなくなります。
共存共栄とは「お互い仲良くやりましょう」でなく、相互になくてはならない関係であったのです。
経営者と従業員の力関係は、好況期と不況期では正反対になります。
企業と学生の力関係も、長い就職氷河期が終わり、去年は明らかに学生優位でした。
一見、敵対する相手との力関係は、片方が強くなると、もう片方が弱くなる。
強い立場の人も、いつ弱い立場に置かれるか、まったく分かりません。
相撲で、明らかに勝負がついた後の「駄目押し」は禁じ手ではないが、見苦しい。
その昔、勝った力士が敗者に手を差し伸べるシーンがよく見られました。
“敗者へのいたわり”です。
「屈辱的だ」と断る力士もいるが、勝負が決した後の”潔さ”も力士には必要で、
こんなやり取りが、相撲人気を根底から支えているのでしょう。
世界最強企業ともいえるトヨタの経営判断は、すばやく、大胆でした。
この判断が正しかったのか、どうかは、現段階では分かりません。
私たちは、雇用か利益か、社員か顧客か、家庭か仕事か、など、
常に対極にある存在を大切にし、割り切らず、考え抜いて決めていきましょう。
その時、指導的立場にある「人」や「企業」が忘れてはならないことがあります。
“弱者への思いやり”
これを怠ると、どれほど考え抜いたことであっても、
自然界に生きる人間として、バランスを崩しているのではないかと思うのです。