バイマンスリーワーズBimonthly Words
一足進め 前は極楽
昔、村のはずれに一人のおばあさんがいました。
夏も終わった秋の夕暮れ、おばあさんは村の鎮守さまのお参りに行きました。
熱心にお参りしたので帰りの道はとっぷりと日が暮れ、足元もよく見えません。
鎮守さまの池からは、「グワァッ、グワァッ」と気味の悪い、ガマガエルの声が聞こえてきます。
カエルの苦手なおばあさんが、急ぎ足で池の端を通り過ぎようとしたその時でした。
足の裏に、ぐにゃ…と、何かやわらかいものを感じたのです。
こともあろうに、大きなガマガエルを踏んづけてしまったようです。
その異様な感触に「ギャッ!」と叫んだおばあさん、逃げるようにその場から飛んで帰りました。
「ああ、恐かった…。」 家に着いたおばあさん、踏みつぶしたカエルのことが気になり
夕食ものどを通りません。
寝床に入っても寝つかれず、深夜にはとうとうガマガエルの亡霊が枕元に現われました。
「よくも踏んづけたなぁぁ…!」「呪い続けてやるぅぅ…」
ガマガエルの亡霊は、低い声で命を奪われた恨みをぶつけてきます。
あまりの恐ろしさに耐え切れなくなり、おばあさんは思い切って決断をしました。
今からあの場所に行って、踏みつけたガマガエルを取り上げて供養することにしたのです。
提灯を片手に池の端までやってきました。
恐る恐るその場所に近づくと黒いかたまりが、ぼうっと見えてきました。
(これだ…)おばあさんは勇気を出して提灯を近づけ、手を伸ばそうとしたその時…。
「えっ?!」そこには信じられないモノがありました。
黒いかたまりをよく見ると、なんとそれは”なすび”なのです。
てっきりガマガエルだと思っていたそれは、腐って、ひしゃげた”なすび”だったのです。
後継経営者は厳しい評価レベルの中にいる
ビジネス界に生きる私達にとって、このおばあさんのことを簡単に笑うことはできません。
人は、自分の廻りで起こる事象に対し、五感を通じて自分なりの勝手な”思い込み”をし、
その思い込みによる行動をしてしまうものです。
たとえば、若いビジネスマンのA君が仕事の上で失敗をしたとしましょう。
失敗をした瞬間は、お客様や会社に対して申し訳ないという真摯な気持ちで一杯です。
すぐに上司に報告すればいいのですが、鬼のような形相で怒っている上司の顔が浮かんできました。
ここでA君は、怒られる!と自分勝手な”思い込み”をしてしまいます。
上司にすれば大したミスでもなく、注意を促す程度で済むことかも知れません。
しかし、怒られるという”思い込み”が報告を怠らせることになります。
さらに時間が経つと、失敗をかくしているという、罪の意識からくる”とらわれ”が頭の中を支配し、
A君のあらゆる行動に悪い影響を与えていきます。
後継経営者の例で考えてみましょう。
後継者は、どうしても創業者や今の社長と比較をされる立場にあります。
今の社長(たいていは父親)がスーパーマン経営者ならば、経営能力、リーダーシップ、人格において、
何か一つでもいいから追い着きたいと考えるのが一般的な後継者です。
ところが、「はたして俺にできるだろうか…」という不安も強く感じます。
後継者がこのような不安定な心理状態になるのは何故なのか?
それは、業界・社員・銀行から期待の目で見られているという、世間に対する”とらわれ”です。
世間からの期待の目には、引き継いだ事業を成長させて当たり前、横バイなら期待はずれ、
業績を落としたら非難を浴びるという、厳しい評価基準があります。
後継者はこの厳しい評価に”とらわれて”いるのです。
私達は、心の中を支配する”とらわれ”と、どのように付き合えばいいのでしょうか。
一足進む、とは"とらわれ"を捨てること
これまで、事業家やスポーツ選手など、勝負の世界に生きる人達に、多大な影響を与えてきた読み物に、
吉川英治の小説「宮本武蔵」があります。私自身も小説の中に自分の生き様を求めていたのでしょうか、
若い頃から何度も読み返しました。
生涯を通じて60回を超える決闘をして一度も負けなかった武蔵が行き着いた兵法の真髄がこの歌に
表されています。
振りかざす 太刀の下こそ 地獄なれ 一足進め 前は極楽
敵の前にさらに一歩踏み込み、自分を危険な状況に置く方が、かえって生を得ることができる、そんな
心境のことを言っているのでしょうか。
この意味を具体的な事例を通じて考えてみます。
レーザー機器の輸入商社「日本レーザー」の近藤宣之社長は13年前、債務超過のこの会社に親会社
である日本電子からやってきました。
「2年で再建を果たして黒字経営を続け、今年6月、MEBO(経営者と従業員による会社買収)と
呼ばれる手法でこの会社を買収。筆頭株主であった親会社から株を買い上げ、保有率を15%未満とし、
残る85%余りは自社の経営者と従業員(50人)で持ち合う。
つまり親会社からの「独立」。かつて、親会社の社長候補だったという近藤さんには申し分けないが、
まわりからは今の方が楽しそうに見えるだろう。」(以上、毎日新聞の解説記事より抜粋表現)
上場企業の支配下にある子会社は、日本中に溢れるほど存在します。
子会社のトップは親会社から送り込まれるのが一般的で、一定の期間に成果を挙げて本社に凱旋(がいせん)、
というのが常識的な見方です。
近藤社長が日本レーザーの社長に就任した時も、本社の取締役兼務であり、このようなお膳立てだったかも
しれません。
ところが、従業員と共に会社再建をしていくうちに、自分自身の使命に気づいたのです。
本社の取締役を退任し、不安定ながらも、今の会社に骨を埋める覚悟で、子会社の仲間と共に取り組んだ
ことが、大きく業容を拡大することに繋がりました。
「一足進め、前は極楽」 とは、このようなことを言うのです。
近藤社長は、凱旋意識という”とらわれ”を捨て、今の組織の中で”あと一足”進めた結果、新しい世界が
広がっていったのです。
「極楽」とは、不完全な人の集まり
さあ、一足は進みました。が、「極楽」の意味を、後継経営者の話に戻して考えてみましょう。
仮にあなたの年齢を40歳とします。
あなたが20年前に抱いていた40歳の大人とは、どんなイメージの人物でしたか?
それは、善悪をわきまえた、迷いのない、完成に近い人物を想像していませんでしたか?
そこで40歳のあなたに聞きますが、あなたは20年前にイメージした人物に近づいていますか?
全く大人になりきれていない、未熟で、未完成なあなたがいるでしょう…。
そうなのです。
人間はいくつになっても、間違いはする、失敗もする、迷いの心を持った未熟な生き物なのです。
それは、70歳、80歳になっても犯罪者が出てくる現代社会が証明しています。
スーパーマンだと思っていた今の社長の姿は、あなたが”思い込み”で創り上げた妄想なのです。
子供の頃、父親とは完成されたすごい人物だと思っていましたが、自分が同じような年齢になった
今になって、父親も未熟な人間であったことに気づくのです。
それでは何故、未熟な経営者がここまで会社を成長させることが出来たのでしょうか?
経験を積み、磨きがかかった優秀な経営者ほど、異口同音に語る言葉があります。
「私は、多くの経験をしてきましたが、いまだに失敗ばかりしている、完成には程遠い人間ですよ。」
トップがこのような謙虚な姿勢の組織なら、社員の皆も、未熟で、未完成だと思っています。
こんな組織なら失敗をかくす必要がありません。
失敗をしても誰かがカバーし、自分も他人の失敗のカバーをする、そんな”失敗に対する処理能力”
に優れた組織。
これが、企業成長の極意であり、「極楽」の世界なのです。
さあ、思い切って一歩前に進みましょう。
得意先や仕入先の社長、父や母、恩師など、不義理をしていて気になる人はいませんか?
仕事のミスやトラブルで、どうしても会いたくない、顔も見たくない、という人はいませんか?
頭の中から消えないその人のイメージは、あなたが創りあげた妄想かもしれません。
勇気を出してその人に会い、今のあなたの本心を伝えてみましょう。
想像もしていなかった新しい世界が広がるかもしれません。
それは、勇気を出してガマカエルに立ち向かったおばあさんのように…。