Now Loading

株式会社新経営サービス

Books
出版物

バイマンスリーワーズBimonthly Words

寸陰を惜しむ

2005年05月

あぁ忙しい、忙しい…。得意先の接待に銀行対応、決済業務に業界の会合などなど、身体がいくつあっても足りない。こんな状態を“忙殺される”と言うのでしょうか。「忙」という字は「心を亡くす」と書きますが、こんな状態が続くと身体は元気でも精神が抜け殻になってしまい、本当に命を取られるのではないかと感じる人もあるでしょう。

いつかゆっくり時間を取り、じっくりと考えごとをして、心を落ち着けて趣味などにも取り組みたいとは思いつつ、いつまでたっても忙しさは変わらない…。これが多くの真面目な経営者の実情でしょう。

毎日が忙しいと感じる人は、自分の人生を就学時間、就労時間、就寝時間そして自由時間の四つに分けて考えてみなさい、と教わったことがあります。

仮に人生を80年とすると、24時間×365日×80年=700,800時間、つまりあなたには約70万時間という人生が与えられたわけですが、この時間をどのように使うかによってあなた自身の人生が大きく変わるのです。しかし、この時間のすべてが自分の意のままに使えるわけではありません。

まず「就学」の時間があります。就学の平均を6歳から20歳の14年間、1日6時間で1年365日のうち65%の登校とすると、6時間×365日×0.65×14年=19,929時間となります。次に「就労」の平均を20歳から60歳の40年間、1日8時間で1年のうち265日の就労とすると、8時間×265日×40年=84,800時間となり、「就寝」の時間は6時間/日として、6時間×365日×80年=175,200時間です。ならば、この就学、就労、就寝の合計時間は全体の約40%となり、残る60%の約42万時間が「自由時間」となります。

自由時間は自分を磨く学習時間とする

時間というものは、大人も子供も、男も女も、経営者にも一般社員にも、すべての人に一日は24時間と平等に与えられています。そこで一人ひとりの人間が、自分に与えられた「自由時間」をどのように過ごすかで人生の成否が変わりますよ、というわけです。

いや「自由時間」などほとんどないよ、いう経営者もおられるでしょう。一日のほとんどが「就労時間」であり、「就寝時間」を減らしてまで仕事をしている方も少なくないでしょう。

たしかに私企業でありながら、経営者は自分の都合以外のことに時間を取られてしまいます。ですから経営者のほとんどは「公人」のようなものです。

さて、そんな「公人」が多忙な中から、かろうじて獲得した時間を何に使うのか…。

まず、多くの経営者が「お酒」か「ゴルフ」でしょう。お酒もゴルフも人付き合いの一環でもあり、度を越えなければ身心の健康に大いに役立ちます。ただし、この時間は仕事の緊張やストレスから身心の疲れをほぐす「従」の意味合いが強く、人生を成功させる「主たる要因」にはなりません。

それでは人生を成功させる「主たる要因」とは何でしょうか。

それは「その道において必要な能力と人間力を磨くこと」に尽きるのではないでしょうか。

経営者の場合、真面目に就労して「主たる業務」をこなすことは当たり前のことです。企業を成功に導くには、主たる業務のレベルを上げるための経営者の能力と人間性を磨くことが不可欠です。

ですから経営者、とくにこれから経営者になる若い人にとっては、「自由時間」を「自分を磨くための学習時間」にできるかが成功の鍵となるでしょう。

そこで昔から「三上(さんじょう)」という自分を磨く絶好のポイントが三つありますのでご紹介します。

三つの上とは「馬上」「枕上」「厠上」のことをいいます。

車の中、布団の中、トイレの中が貴重な学習時間

「馬上」とは、馬に乗っているときのことで、現代ならば“車上”つまり車を運転しているときになるでしょう。好きな音楽はもちろん、耳で聴く小説や、英会話の教材もあります。何といっても経営に関する講演や講義ものがいいでしょう。定期的に手元に届く経営セミナー形式のものや、論語を始めとする中国もの、仏教の思想を経営に反映させる仏法もの、といった本格的な学習教材が数多く販売されており、それを車の中でじっくり聴くのです。このような耳からの学習は、CDやテープを何度も反復して聴くことで、読書とは違った効果が期待できます。また通勤の電車、新幹線や飛行機の中も昔の「馬上」にあたるでしょう。両手と両目が空いているので絶好の読書空間になります。

「枕上」とは寝るときのことです。疲れていても寝床に入って眠るまでに5分や10分の時間があるでしょう。そのわずかな時間に、肩は凝らないけれども心の栄養になりそうな書物、たとえば偉人の名言集のようなものを1ページだけでも読んでから眠るようにします。この少しの積み重ねが、あなたの脳の栄養となっていくのです。逆に、考えごとがいっぱいで眠れないならば、これぞチャンスと考えて読みたかった本を開きましょう。「中村天風」や「ジェームス・アレン」などの書物なら落ち込んだ気持ちを前向きに替えてくれます。睡眠不足になりますが、どうせ眠れなかったのですから同じです。

最後の「厠上」はかわや、トイレのことです。多少下品な話になりますが、昔は臭いも強くて長居などできるはずがないのに、絶好の思索場所だと言われたのです。今の日本のトイレは、臭気は消えるし、便座は暖かく、誰にも邪魔されず、でまさに天国。本を読んだり、考えごとをしたり、と実に都合のいい場所ではないでしょうか。5分から10分ですが、新聞ならひと通り目を通すことができます。「なんて行儀の悪いことを…」と叱られそうですが、新聞を読みながらの食事よりはマシかもしれません。奥様、忙しい社長ですからそこは何とかご理解のほどを…。

こんな毎日の「三上」の積み重ねが“塵も積もれば山となる”わけで、わずかな時間であっても心がけ一つで実に多くのことができるのです。

時間がないから忙しいのではなく、心が亡いから忙しい

「細かい時間を積んで自分を磨くなんて、どうもケチ臭いやり方だ。人生はもっとダイナミックに、悠々とした時間の使い方をして、大いに楽しむべきではないか」

といった考え方もあるでしょう。わからないでもありませんが、私にはどうも賛成できません。生まれもっての天才ならいざ知らず、我々凡人が成功できる生き様とは思えないのです。

人間は、平均70万時間というタイムチップが詰まったプリペイドカードをもらって生まれてきたようなものです。そのことに気がついた時には、すでに相当のチップが費消され、残り僅(わず)かであることも分かってきました。そして今も、刻一刻と人生のカードは減り続けているのです。

だからこそ残された一瞬一瞬の時間を有効に、精一杯に使うことが大切なのではないでしょうか。

そのために「寸陰を惜しむ」という姿勢をもちましょう。

寸陰とは「一寸の光陰」の略でごくわずかな時間のことです。“少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず”の言葉にあるように、少しの時間でも無駄に費やしてはならないと戒めたものです。

間違いなく超多忙な身であった経営の神様、松下幸之助の晩年は京都の地になじみ、茶道の心を学ぶことで会社経営の拠り所にしました。時代こそ違え、戦国時代を勝ち抜き天下を取った豊臣秀吉の晩年と重なります。こうやって世の中を見渡してみると、暇な人ほど趣味をもっていませんし、忙しい人ほど多くの本を読み、芸術や音楽に親しみ、暇を見つけては劇や映画を鑑賞しているのです。

この違いはどこにあるのでしょうか?

「忙」という言葉は「心を亡くす」という意味なので極力使わないようにと、若い頃に教わりました。しかし、よく考えてみると本当は「心が亡いから忙しく感じる」のではないでしょうか。

仮にあなたの仕事が単純な作業でも、それが好きで価値を感じている仕事ならば、じっくりと心を込めて取り組むことができるでしょう。逆に、あなたの心が入り込まない仕事ならば、そこに充実感はなく、虚無感だけが残ります。そうすると「私はこんなことをしている場合じゃない…」となります。心は違うところにあるので「忙しい」という感情が生まれるのです。

経営者が、自分を磨こうと思って経営者団体や各種交流会に参加することはおおいに結構なことです。ただ、その活動に振り回されている人もいます。本業をやっていてもそちらが気になり、そちらにいると本業が気になる、そのような心が落ち着かない状態になっていませんか。もしそうならば、休会するなり、勇気を持って脱退する決断が必要になるでしょう。

人間は主体性を失ったときに忙しさを感じるものです。どれほどスケジュールが詰まっていても、それが自分の意志で考えた、主体性に満ちたことであれば、その仕事に心が宿っているので忙しくは思いません。

何を主体にすればよいのか見つからない人は、勉強をしましょう。どんな忙しい人にでも寸陰はあるはずです。寸陰を惜しんで見つけ、まずは自分が属する業界の技術やノウハウの勉強から始めてはいかがですか。建設業なら、建築の歴史から最新の技術のこと、食品に関連する業界なら栄養や衛生に関することなどです。このほんの少しの時間を惜しむところから、自分が主体となってやりたいことが見えてくることでしょう。

文字サイズ