バイマンスリーワーズBimonthly Words
お い あ く ま
経営者大学に参加されている若手経営者からこのような体験話を聞きました。
氏が高校生の時に所属していた野球部が選抜高校野球、つまり春の甲子園で優勝し地元に凱旋しました。出場した選手たちは、校内ではもちろんマスコミの取材攻勢をうけ、それはまるでスターのような扱い。結果、多くの選手が有頂天になり、練習には身が入らず、街では肩で風を切って歩く始末。ベンチに入れなかった控えの部員達は、そんなレギュラー選手の態度に嫌気を感じて部活動に対する意欲を失っていました。
そして、夏の甲子園出場をかけた地方予選が近づいてきました。日本で最も激戦区といわれる大阪大会です。ところが選手たちの心はバラバラでチーム状態は最悪。練習試合をやっても勝てない日々が続きました。そんな状態を早くから察知し、機をうかがっていた監督が選手たちを集めてこう言いました。
「お前達は、甲子園で一回優勝したくらいで有頂天になっているぞ。だからお前達に『おいあくま』という人生訓を捧げる。それは、驕るな、威張るな、あせるな、腐るな、そして、負けるな、ということだ」
氏はこの言葉を受けて、眼からうろこが落ちる思いであったという。
レギュラー選手はもちろん、控えの部員たちも自分達の姿勢を反省し、死にものぐるいの練習が始まりました。残念ながら夏の甲子園出場は逃したものの、決勝戦まで進出するチーム力に戻したのです。
卒業後、当時の仲間と会うと必ず「おいあくま」の話になり、氏もことあるごとに自分を戒める言葉にしているとのことでした。
監督のこの言葉は相手が高校生とはいえ、一瞬にして心をつかみ、行動を変えさせた名言といえるでしょう。私自身もこの話を聞いた瞬間、心の奥にズシッと感じるものがあったことを忘れられません。
相手の状態によって解釈を変える
人は誰でもそれなりの成功を体験すると実力が高まったものと勘違いして、有頂天になりがちです。甲子園で優勝したことでスター気分になっていた選手達の心を揺さぶったのは、「おいあくま」のうちでも「驕るな」「威張るな」だったのでしょう。
そして「おいあくま」はレギュラーでない控え選手の心にも突き刺さりました。それは「腐るな」ではないかと思われます。自分はレギュラーになれない、こんな奴らの控えになってもつまらない…。そんな腐った心境に陥っていたのかも知れません。控え選手でも努力すればレギュラーになれる、消えかかっていた心に希望の灯火を点けたのが「腐るな」そして「負けるな」だったのでしょう。
「おいあくま」は、スポーツ界だけでなくさまざまな分野で頂点を極めた人物に対する戒めの言葉として珍重されてきたようです。たとえば、某大手銀行の元頭取は「座右の銘」として、毎年の入社式でサラリーマンが出世する秘訣として新入社員に話していたといいます。
しかし、いかがでしょう、これは記憶に残るいい言葉ですが、誰にでもピンとくるものではありません。そこで相手によってはその解釈を変えた方がいいのではないでしょうか。
チャレンジ精神が必要な新入社員や、事業の立ち上げや再建をする人にとっては、もう少しひねると面白いものになります。私なりの解釈はこんな具合です。
「お」は上司や仕事を“恐れるな” 「い」は自由に伸び伸びと仕事に取り組め、決して“いじけるな” 「あ」はやりかけたことは最後まで“あきらめるな” 「く」は一回や二回の失敗で“くじけるな” 「ま」は同僚や商談相手に“負けるな”といったところです。
ところが、新入社員も仕事を覚えて後輩や部下との人間関係に苦しむ時がやってきます。事業を起こした人も軌道に乗りだすと心に隙間ができるようになります。そこでこんな解釈はどうでしょう。
「お」は“怒るな” 「い」は“威張るな” 「あ」は上司や周りの人に“甘えるな” 「く」はうまくいかないからといって“腐るな” そして「ま」が自分に“負けるな”です。
このように「おいあくま」を説得材料に使うときは、それぞれの状態に沿った解釈をしてあげればいいでしょう。
驕りは経営者最大の敵
そこで経営トップに対する「おいあくま」はどう解釈すればいいでしょうか。
「お」はまちがいなく“驕るな”でしょう。
企業の敵は同業者ではありません。同業者とは競争する存在であって敵ではないのです。こう考えると企業トップの本当の敵は判断ミスを誘発させる何か、それは心の中で間違ったことを思い、判断してしまう何か、であることが分かります。それが自らの心に潜んでいる「驕り」なのです。
企業のトップは何者にも代えられない重責を担っていますから、自分が最もしんどい役目を背負っていると感じています。銀行への個人補償、失敗すればすべてを失うという覚悟の上でトップになっているのです。ですから、逆に何かを達成した時にはすべて自分が成し遂げたように思いたくなります。自分は他の人間とは隔絶した高いところにあり、最も質の高い人間であるように感じるのです。
これが「驕り」です。「過信」と言ってもいいでしょう。
ところが、この世の事柄で自分一人の力で成し遂げたものは何ひとつありません。「驕り」はその仕事に関わった人々を遠ざけていきます。驕りたかぶる人に誰が力を貸すでしょう。まして、誰が助言や苦言をしてくれるでしょうか。経営トップの最大の敵は「驕り」なのです。
「い」は同じく“威張るな”です。これは部下だけでなく、取引先、業界関係、銀行などすべての人々に対する“態度”の問題ですが、威張る態度を放置すると「驕り」を誘発します。ですから、驕りを発生させない薬だと考えればいいでしょう。
「あ」は“焦るな”です。企業の存続を決める判断業務をやっている経営トップが焦っていてはいい判断ができるはずがありません。また、2代目・3代目としてトップに立つ人で「甘えるな!」と言いたい方がいますが、それはトップではなく“自分は道半ばにいるのだ”という自覚が先決でしょう。
「く」は“悔やむな”とします。毎日、膨大な意思決定をしているトップでも間違った判断をします。そのたびに「しまった!何故あんな判断をしたのか…」と悔やむ気持ちを引きずっていては、新たな判断ミスを犯します。誰でもミスはするものです。大切なのはミスの後の処理なのです。
「ま」は“迷うな”。これは目標を見失っていないか、という戒めです。迷うというのは、右か左かと迷っているのではなく、判断をする軸を見失っている現象です。最良の判断軸が、あなた自身が当初に立てた目標なのです。
心の有り様が判断に影響する
「おいあくま」を対象者ごとに分解しているうちに気付いたことがあります。それは経営者に求められる言葉が、判断に関することばかりなのです。
企業経営には1+2=3といった正解があるわけではありません。自ら下した判断が正解か、間違いかは経営者が実行に移していく過程で、自ら証明していくのが経営です。だからこそ、より精度の高い判断が求められるのです。経営とはなんと楽しく、そして難しいことなのでしょう。
そして、経営者の下す判断は心の有り様によって大きく変わることを忘れてはなりません。その心とは、驕り、焦り、妬み、貪り、怒り、甘え、といった人間特有のドロドロとした煩悩のようなものです。経営者の判断に大きな影響を与える煩悩は自分ではなかなか気づかず、誰かに指摘されてはじめて気付くという厄介な代物です。
残念ながら、経営者に対して「焦ってはいけません」「それは甘えています」といった心の奥の問題を指摘してくれる人はなかなか居ません。私自身もコンサルタントという仕事柄、苦言こそ言うが、逆に言ってくれる人が少ないことに漠然とした不安を抱いていました。そんな心の隙間に「おいあくま」が強烈に入り込んできたのです。
人の上に立つ人、指導的立場にある人は自分自身で心のコントロールをしなければなりません。
ある有名な作家がおもしろいことを語っています。
「祖父は毎朝鏡に向かって「おい!あくま」と呼んでから仕事に出かけていました。子供心に不思議に思っていましたが、歳を重ねた今になってその言葉の真意を痛切に感じています。」
人の心はもろくて、不安定なものです。あなたも不安な心持ちになった時には、鏡の前で「おい!あくま」と呼んでみたらどうでしょう。
ひょっとしたら「心の中の悪魔」が返事をしてくれるかも知れません。