Now Loading

株式会社新経営サービス

Books
出版物

トップページ > バイマンスリーワーズ > 黄金の奴隷になるな

バイマンスリーワーズBimonthly Words

黄金の奴隷になるな

2001年03月

世の中が変わる時には古いものが去り、新しいものが現れます。これを新陳代謝とよびます。ただ、不必要なものが去っていくのは分かりますが、古いからといって必要なものまで去ってしまうのは困ります。新陳代謝が進む今の日本は必要なものまでなくなりそうな、そんな危険性をはらんでいるように思えてなりません。

人々の思想や行動に大きな影響を与える書物を発行する出版社。そもそも出版社とは本好きの人間が集まった小規模なものでしたが、昭和30年代に「家具」としての全集ブームが起こり、社員数が膨張。ブームが去った後も増えた人件費捻出のために雑誌や単行本の大量増産をせざるを得なくなりました。出版業界の悲劇はここから始まります。結果、多くの出版物は希薄な内容となり、虚名の作家や芸人らのエッセイ、暴力やポルノのコミックといった荒廃を招いたのです。このことが今の青少年の思考や行動に大きな影響を与えていることは間違いありません。

また、日本の書籍は委託販売であるため、大量に供給しても50%近くが返品され、ほとんどが断裁される。その数は単行本だけでも年間五千万冊を超えると言われ、貴重な木材資源を日々膨大に捨てていることになります。CD-ROMやインターネット、古本市場の拡大などの影響を受け、出版社はこれからが正念場となるでしょう。本の装丁や印刷技術など表面的な品質は良くなりましたが、根本精神を見失った出版社は自らが引き起こした粗製濫造の罪を背負うのです。

日本の食文化を象徴する清酒業界も苦境に立たされています。ブドウを絞って樽で寝かすだけで醸造できるワインに比べ、米で造った清酒は複雑で難しい工程を踏み、高度な技術を要する醸造酒の傑作です。ところが戦時中に米が不足し、大手の日本酒メーカーはアルコールや化学調味料を加えて通常の三倍の量に増やす製法を開発し“普通酒”と名付けて市場に流したのです。これを契機に酒税さえ徴収できれば良しとする当時の大蔵省と、同じ原料で三倍の酒が造れる大手メーカーの利害が一致し、普通酒の大量生産がスタートしました。89年までは特級、一級、二級といった級別制でしたが、これは酒税徴収を目的としたもので、必ずしも品質の善し悪しを表わしたものではなかったのです。品質にこだわる地方の蔵元ではわざと級別審査を受けずに良質な酒を二級のままで売っていたとも聞きます。消費者は税収を狙う大蔵省と利益を優先する大手メーカーに翻弄されていたわけです。級別制廃止後もメーカーは特撰、上撰、佳撰、といった表示をしましたが、これも明確な基準がありません。このような品質表示の混乱、食生活の変化、価格下落の影響などで消費者は清酒から離れていきました。近年、地酒ブームが起こり、消費者もやっと品質重視の地方の蔵元が造る美味しい清酒に着目し、本物志向に戻りつつあります。しかし、ほとんどの蔵元が経営難で、地方の蔵元の美味しい清酒の味を多くの消費者が知らないまま、転業、廃業の方向にあるのが現実です。

大蔵省と大手メーカーの利益優先主義の犠牲かと思うと残念でなりません。

人間尊重の経営者、出光佐三

出版業界や日本酒メーカーなどは利益をあげるために品質を下げて大量生産を目指した結果、業界全体にそのツケが及びました。私共の地場産業である呉服業界の場合は、生産量でなく単価アップ政策をとった結果、「きものは高い」という常識を消費者に与えてしまいました。その後は無残な状況が続いています。

企業はなぜこのような過ちを冒すのでしょうか。販売量を拡大したり、単価を上げることは悪いことではありません。しかし苦しい結果を招くということは何かそこに間違いがあるのではないでしょうか。

出光佐三(明治18年~昭和56年)は現在の出光興産の創業者で強靭な精神力と実行力を備えた経営者でした。解雇なし、定年なしという人間尊重の経営方針を貫き、行く度か倒産寸前の危機に遭うもそれを乗り越え、国際石油カルテルや闇の勢力とも勇猛果敢に戦ったのです。

戦後まもなく存亡の危機がきました。敗戦で中国などの事業基盤をなくし、多額の負債(当時で2百数十万円)を抱え、常識的には再起不能な状態で出光佐三自殺説が流れたぐらいです。そんなところへ海外にいた1000人余りの従業員が引き揚げてくることになったのです。

「どうやって食いつなぐのか…」

社の幹部は「大量解雇はやむを得ません」と店主(出光では社長を店主、従業員を店員と呼んでいる)の佐三に訴えました。しかし、氏は激怒して次のように語ったという。

「君たち、店員(社員)を何と思っておるのか。店員と会社は一つだ! 家計が苦しいからと家族を追い出すようなことができるか。事業は飛び、借金は残ったが、会社を支えるのは人だ。これが唯一の資本であり、今後の事業を作る。人を大切にせずして何をしようというのか」

氏は雇用確保のために懸命に新事業を開拓しました。農業、漁業、印刷、しょうゆや食酢の製造、ラジオの修理・販売もやったのです。そして極めつけが旧海軍のタンク底に残る石油の回収作業。ガス爆発の危険を伴う汚れ仕事であるために引き受け先がない作業だが、氏は「誰かがやらねばならない仕事である」として引き受けるのです。1年数ヶ月をかけてやっと完遂できた難作業は社員に大いなる自信を与え、自助の精神が植え付けられたという。

出光佐三はこうやって海外から帰ってきた1000人を超える社員を解雇することなく、彼らの雇用を守りました。リストラ、株主尊重という名のもとに、安易に人員整理をすすめる傾向にある昨今の経営者と根本精神がまったく違うことに驚くのです。

自主独立の思想「奴隷解放」

その後日本の経済が復興し、労働者が権利を主張する時代になっても氏は「人間尊重」の経営方針を貫きました。労働組合がない、出勤簿がない、残業手当を社員が受け取らない等、不況下の現在でも考えられないような運営をやってのけたのです。人間尊重の精神を象徴的に表しているのが「奴隷解放」という思想。氏は次の七つの言葉で自主独立、人間尊重の店員教育を施しました。

一、黄金の奴隷になるな

二、学問の奴隷になるな

三、組織、機構の奴隷になるな

四、権力の奴隷になるな

五、数、理論の奴隷になるな

六、主義の奴隷になるな

七、モラルの奴隷になるな

「奴隷解放といえば、一般的には人間が人間を奴隷として扱うな、という意味で言われているが、私の言う奴隷解放はそうではなく、人間が人間以外のものの奴隷になるなということである。今(昭和46年頃)の世の中をみると、あまりにも人間が人間ばなれして人間以外のものに振り回されている。そこに現代の混乱と行き詰まりの原因があるように思う。」(『日本人にかえれ』ダイヤモンド社より)

私は「利益は大切、でも利益を追ってはならない」などと周りの人に言い続けてきましたが、どうもありきたりで、なんと説得力のない言葉かと自分自身、モヤモヤとしていました。そこに、人間が人間以外のものに対し、尊重はすれど支配されてはならない「奴隷解放」の考え方に出遭い、目からうろこが落ちる思いでした。

もともと日本の経営者は利益を追い求めず、過剰な利益は取らずに顧客や社員に還元することを第一義としてきました。とくに権力を持った人間は必要以上のお金を持ってはならない、お金を持っている人は権力をもってはならない、というのが指導者や権力者に対する日本古来の教えだったのです。

ところが、戦後にアメリカから合理的で即効性の高い経営手法が上陸し、多くの企業が導入しました。ところが、その経営手法の根本思想は、「拝金主義」の域を出ません。その影響なのか、駆け引きをする、嘘をつく、投機をする、という人格なんてまるで感じられない商売人が溢れたらしいのです。

これは、まさに狩猟民族のやり方です。農耕民族である日本人は、市場を育てる、そこに働く人を育てる、ということに価値を感じるわけで、狩猟民族のマネをしてうまくいくはずがありません。そこで、日本の将来に憂いを感じた佐三氏が警鐘を鳴らしたわけです。

半世紀ほど前の話ですが、今の日本は当時にそっくり、いや、もっとひどくなっているのかもしれません。

成長が止まってもあわてない

人を育てることについて、佐三氏は次のように語っています。

「人を育てるのに、権限の規定や罰則なんかいりません。その根本は信頼であり愛情です。そこから自然に人間の真に働く姿が現れてきます。お金や規則で縛って人を働かせようなんて、とんでもありません。それは人間侮辱というものです。」

企業も人も成長することはこの上ない喜びです。ところが定量的な成長が必ずしも正しいとは言えないことが分かってきたのです。どこかで質的な成長路線に切り替える必要があるのに、企業も人も成長が頭打ちになると、金や権力がちらつき、組織・機構の影響を受けて苦し紛れの判断をしてしまう。

成長が止まっているというのは、天が敢えて機会を与えているのです。そんな時「なぜ、このような事態になっているのか」「私がやることの本質は何か」といったことを自問自答すればいいのです。

サッカー人気の低迷を打開するために「サッカーくじ」が3月から始まります。熱狂的サッカー人気の諸外国のような下地が、はたして日本にあるのでしょうか。ムリにギャンブル性を持たせることで広めようとしていないでしょうか。これでサッカーの持つ本来の価値が失われ、利権やギャンブルの犠牲になるような気がしてなりません。

ヒト遺伝子の解読が世界で注目されていますが、基礎研究に属する内容がビジネスの道具として特許問題になっていることが残念です。そして、アメリカ型の人間観の最後に行き着いたのがクローン人間問題。人間まで大量生産して、それをビジネスに結びつけるなんて近いうちに人類の傲慢として天罰が下るでしょう。

20世紀は中小企業が大企業の「縁の下の力持ち」となって日本の経済を支えてきました。しかし、現実は大企業の権力下に置かれた弱者でした。中小企業は大企業の奴隷として、大企業の社員は組織・機構の奴隷となって大企業病にかかり、大企業の経営者は株主の奴隷に成り下がったとも言えます。

21世紀はこのような縛りがなくなり、中小企業が前線で活躍できる自主独立の道が開かれました。だからこそ企業経営者は金や権力の奴隷にならないよう、企業の本質的な役割を見失ってはなりません。

そして、経営者だけでなく、医療や、政治、教育、芸術、など社会に価値ある仕事に従事する人々も、どうぞ金や組織・機構、そして権力などに振り回されないように願うものであります。

文字サイズ