バイマンスリーワーズBimonthly Words
私が悪かった
パパラッチの横暴とダイアナの悲劇
ダイアナ元英皇太子妃が無残な最期を遂げたニュースは世界中の人々に大きなショックを与えました。幼稚園の保母さんをしていた彼女は、19歳の時にチャールズ皇太子に見初められ、まさにシンデレラとなりました。ところが、二人の王子を出産した後に皇太子との仲が悪くなり、92年には別居、そして96年の8月末には離婚となってしまいました。その間、パパラッチと呼ばれるカメラマンに追われ続け、最期はパリの地下道で無残な交通事故死を遂げる結果となりました。
ダイアナ元妃の人生は幸せだったのでしょうか。離婚のあとに新たな人生を設計していたのでしょうがその夢は実現しませんでした。パパラッチの行動が事故の原因になっているのかどうかはまだわかりません。一部ではダイアナの死は陰謀であるという説もでているくらいですから、真実は薮の中となってしまいそうです。ただ、ダイアナのプライバシーが侵害され、普通の人間としての権利が喪失された生活を送り続けなければならなかったことにパパラッチが大きく関わっていたことは事実です。パパラッチという近代マスコミ社会が産んだ職業が、ダイアナの人生を変えたと言えるでしょう。
何人かのパパラッチは事故の直後、大破した車の中に閉じ込められていたダイアナを助けるどころか、これぞチャンスとばかりにカメラのシャッターを押し続けていたといいますから、その光景は屍に群がるハイエナにそっくりです。自然の風景や美しい女性を撮り続けて芸術を極めようとするカメラマンもいれば、パパラッチのようなカメラマンもいる訳で、同じカメラを持っていても、その実態は大きく違います。パパラッチの中には社会的使命を感じてやっている人間がいるかも知れませんが、どうも一発儲けを目的にやっているのがほとんどではないでしょうか。ダイアナを愛した人々は、「パパラッチ憎し」という心境でしょう。
職業は手段である
カメラマンだけでなく私のような経営コンサルタントを名乗る人間の中にもいろんなタイプがいます。なんとかして顧客企業に良くなってもらおうと誠実に業務を続けるコンサルタントがいる一方で、達者な口と、悪智恵を働かせて顧客企業の裏側にまで入り込み、詐欺まがいのことを平気でやるコンサルタントがいるのも事実です。これは一つ間違えば犯罪になります。また、法律すれすれの方法で公的補助金の申請を請け負ったり、もっとひどいのは脱税方法を指南して、成果の何割かをむさぼる“ひる蛭”のようなコンサルタントもいます。同じ職業に携わる人間としてなんとも言いがたい思いにかられてしまいます。達者な口と優れた頭脳は、出来るだけひとさま他人様に心から喜んでもらえるようなことに使ってもらいたいと思うのです。
じつは職業の特性を利用して悪事を働く人間は、何もカメラマンやコンサルタントだけでなくどんな職業にも見られることです。それは小売業にも、メーカーにも、建設会社にも、また公務員の中にも悪事をたくらむ人間はいます。そしてこれは、今に限ったことではなくこれまでの歴史の中で繰り返されてきたことで、消費者や一般の人々が知らないのをいいことに、“ダマシ”のような仕事をする人間はいつの時代にもいるのです。それは、まがいものを売る商店であったり、偽ブランドを作るメーカーであったり、手抜き工事があたり前の建設会社など数え上げたらきりがありません。近年では、国家資格として最高峰に位置づけされる医師や弁護士の中にも詐欺まがいのことを平気でやる人間がいるのですからたまったものではありません。ミドリ十字に対するHIV訴訟問題などは、医師と企業経営者が結託しておこなった最悪の社会問題となってしまいましたし、官僚による汚職事件などは枚挙にいとまがありません。社会で信頼性の高い職業に就いている人達が簡単に悪いことをする訳ですから、私達はいったい誰を信用すればいいのかわからなくなります。
悪が悪をよぶ
ところが世の中で起こるさまざまな問題は、なにも悪事をはたらいた当人だけにその原因があるとは思えないことがいっぱいあります。
パパラッチという職業は、そのスクープ写真を高額で引き取る業者がおり、そのスクープ写真を見たがる一般大衆がいるから存在する訳で、そこには需要と供給のような相互補完の関係ができあがっているのです。これは、“悪が悪をよぶ関係”と言ってもいいでしょう。
公務員の中で賄賂を受け取る者がいるのは、一方で罪を承知の上で賄賂を贈る者がいるから起こります。また、詐欺事件はおいしそうな話を考える人間がいる一方で、何かしら“助平根性”がわざわい禍して、そのおいしそうな話に乗っかってしまう人達がいるから起こります。たとえば、最近起こった事件では、オレンジ共済の詐欺事件、KKC(経済革命クラブ)事件などがそれです。
通常、なにも悪事をはたらいていない人が問題に巻き込まれるのは気の毒な話で、運が悪かったとしか言いようがありません。しかし、問題が起こる際に、自らがなんらかの意思決定をして問題に巻き込まれた場合は、当方にも何らかの原因があったと考えられます。たとえば、オレンジ共済は公定歩合が0.5%という史上最低の超低金利が続く時代に、7~8%という高金利でお金を集めていた訳です。今から考えるとどう見てもあり得ない話ですが、これはおいしい話だと思った人達がこぞってお金を預けていきました。その結果はご存知の通りです。
私達が忘れてはならないことは、“この世の中においしい話などはない”ということです。人の心を潤したり、勇気づけたりする話は“いい香りのする話”であって、おいしい話ではありません。おいしい話に心が動くのは、欲に惑わされているからなのです。人間は欲望の動物ですから欲に駆られることもあるでしょうし、欲望が湧いてくることは人間として当然の現象です。しかし、欲望に引きずられてしまうと、その欲望を自分でコントロールすることができなくなります。何か一発当ててやろうという欲望にかられて事に取り組んでもうまくいくはずがありません。仮にうまく運んだとしてもそれは一過性のものであり、長く続くものではないのです。
何らかの誘惑があって、かす微かでも“おいしい欲望”の心理が働いたからには、被害者にもそれなりの原因があったものと考えてもいいのではないでしょうか。ダイアナの死を悼むイギリス国民の一部には、「パパラッチがすべて悪いとは言えない。パパラッチが撮り続けてきたスクープ写真を興味本位で見ていた自分たちも、ダイアナを死に到らしめた原因となっている。私達も悪いのだ」と反省しているとの報道もありました。
中坊弁護士の人生を変えた言葉
元日本弁護士会会長で、現在は住宅金融債権管理機構の社長として知られる中坊公平氏が、森永ヒ素ミルクの中毒患者とその家族が国と森永乳業を相手取って損害賠償訴訟を起こし、その原告弁護団長を努めた時に次のような感動体験をしたといいます。被害者の両親に会えば国や森永に対する批判が聞けるだろうと考えていたところ、母親たちの口からは自らを責める言葉が漏れ出て、中坊氏は心情的に打ちのめされたといいます。「乳の出ない女が母親になるのが間違いでした」、「哺乳ビンを払いのけるしぐさをした時に気付けばよかった」、「森永のミルクでも値段の高いものにはヒ素が入ってなかった。金を惜しんだ親が悪い」……。
中坊氏はこの物言わぬ母親の存在を知り、被害というものはこのようにして横たわっているのか、と実感したといいます。森永ヒ素ミルク訴訟の第一回口頭弁論での中防氏の弁論は次のような内容だったといいます。
「私は本日、裁判を提起しました。しかし、裁判に勝つことは目的ではありません。どうか、森永も国もこの実態をよく見て被害者を救済するために立ち上がってもらいたい」
誰が悪いとか、勝つとか負けるといったことでなく、状況対応の本質を突いた見事な発言ではありませんか。バブル崩壊後の日本経済において、中坊弁護士は今、もっとも注目されている一人です。その中坊弁護士が44歳の時に“私が悪かった”と言う、森永ヒ素ミルク中毒患者の母親に会ってから生き方が変わったといいます。中坊氏の中に埋もれていた弁護士としての真の使命感に火をつけたのでしょう。それぐらい“私が悪かった”という言葉には威力があったのです。
“私が悪かった…”この一言が言えなかったばかりに私自身もこれまで何度も失敗をしています。職場でも、家庭でも問題を起こした時に、心の中で、「確かにオレが悪い、でもそれには理由があって…」という言い訳の感情を抱いたり、「おまえの方がもっと悪いから先に謝れ!」と心の中で相手を批判し、自己防衛の心が働いてしまいます。結果、問題解決ができないばかりか人間関係までおかしくなったことが何度もあります。なぜ、「ごめんなさい、私が悪かった」と心から自分の非を認めなかったのか、と反省する毎日です。
京都にある一灯園の同人、石川洋氏が次のような言葉を残しています。
「世界が悪い。社会が悪い。会社が悪い。社長が、同僚が、部下が悪い。
家庭が、親が、妻が、子供が悪い。“じゃあ、自分は悪くないのか?”
そう自問してみると、原因は常に自分の姿勢にあることがわかる。
自分が変わらなければ、周囲は変わらないのである。不満を重ねて成功した人はいない」
一人ひとりが、 “私が悪かった”と心から言えるようになれば、職場や家庭での問題はほとんど起こらなくなるように思うのですが言い過ぎでしょうか。