バイマンスリーワーズBimonthly Words
夢を大事に
新年明けましておめでとうございます。
新たな目標に向かって今年も頑張ろうと決意に燃えてスタートされたことと思います。私も毎年「今年こそ!」と目標を心に秘め新春を迎えますが、残念ながら十分に達成できないままに一年が過ぎ、次の年を迎えるというのがここ数年間続いております。それでも懲りずに「今年こそは!」の心境でいきたいと思っております。
目標が未達であってもまた新たな目標が設定できるのは、人間には夢を持つことができるからなんですね。特に子供の頃から抱いているような夢は後生大事にしていただきたいと思います。もし不可能に近い内容でも夢は心の支えになってくれますから。
「そんな夢みたいなことを考えているどころじゃない!」と言う人がいますが、こんな人は他人の夢を奪っているような気がしてなりません。ですから、私たちは、人間が抱く夢を大切にし、後進の人や子供達には積極的に夢が与えられるような立ち居振舞いをしなければならないと心から思います。
夢といえば、ジャイアンツでプレーをしたかったという子供の頃からの夢をやっとの思いで実現した清原選手。はたしてジャイアンツではファンの期待に応えて夢に花を咲かせることができるでしょうか。そして、子供の頃からの夢に見事な大輪の花を咲かせた選手は、何といっても昨年大リーグでノーヒット・ノーランを達成した野茂英雄投手でしょう。野茂投手には子供の頃から「大リーグのマウンドに立ちたい!」という大きな夢があったといいます。お世話になった近鉄球団に対し退団の際にわがままがあったとも聞きますが、それは子供の頃からの夢を実現したいという純粋な気持ちが近鉄球団側の思いを上回った結果だろうと私は理解しております。夢というものには底知れないパワーと説得力が秘められていることを彼は教えてくれたように思えます。
真のプロは動機が違う
野茂投手の成功に刺激されて大リーグ入りを強く希望している日本のプレーヤーが増えています。新しいプロ選手の生きざまを求めて世界にはばたこうとすることは大いに結構なことです。しかし、このような動きの中で少し気になることがあります。大リーグでプレーしたいという選手達の本当の動機はいったい何なのでしょうか。規制の厳しい日本のプロ野球界に嫌気がさしたのか、それとも大幅に年俸を上げて野茂投手以上に注目されたいとか単に日本ではうだつが上がらないから、といった理由なのでしょうか。才能だけでは通用しないのがプロの世界です。単なる思い付きや、逃避的な動機だったら、日米選手間の体力的、技術的な大きな格差を埋めることは出来ないでしょう。大リーグ行きの動機なら、子供の頃からの夢だったとか、せめて数年前から心の中で暖めていたものであって欲しいと思います。もしそうでなければ、まず日本のプロ球界で自他共に認めるような実績を残した上で、新たな目標としてチャレンジすべきではないでしょうか。選手たちにはもう一度「なぜ大リーグか」を考えて欲しいものです。
人並みはずれた知識や技術を持っていることがプロの条件だとすれば、プロはどのようにしてその知識や技術を高め、維持していくのでしょう。それは想像を絶するようなトレーニングを積み重ねることに尽きるのではないでしょうか。スポーツ選手に限らず、医師、芸術家、といった職業はもちろん、経営者もその知識や技術を高めるためのトレーニングを欠かすことは出来ません。この厳しいトレーニングに耐えるベースとなるのが「動機」なのです。プロの人間がその職業に就いた動機の中には、その仕事が三度の飯より好きな天職だという自覚があり、命懸けのような情熱が満ち溢れています。ところがその職業に就いた動機が充分でないのにプロを自称する人も少なくありません。
「損か得か」では損をする
レストランを中心に四つの外食店舗を持つ青年社長が、五つめの新しい店舗の設計図を持って私のところに相談に来られたことがあります。和と洋を織り交ぜたコンセプトの新店舗は最高の立地で、投資額もこれまでにない大きなものでした。メニュー構成、調度品、人材など、まとまっている構想について熱っぽく、そして楽しく話をされました。成長意欲に溢れ、新しいことにチャレンジする人の表情はこうも素晴らしいものかと感じたものです。ですから、私がとやかく口を挟むようなことはありませんでした。最後に一つだけ気になることがあったので、私は質問をしてみました。
「このお店を出そうとされた動機は何ですか?」
社長は急に真剣な面持ちになって次のように語り始めました。
「一つは、私は事業家ですからお金を儲けたいのです。正直なところ、これまでの店では損ばかりしています。これまでの損を何とかこの店で取り戻し、儲けたいと思っています。もう一つは、父がやってきた店を引き継いで数年たちますが、『私がやった』という実績がありません。ですから、まず私がやったという事実を残したいのです。でないと業界の人間も私を認めてくれないのです」
この社長は私のところに来て、「このお店は成功しますよ。あと、こことここに気を付ければいいですよ」という言葉が欲しかったのでしょう。でも私は出店の動機を聞いてから彼を勇気づけるような気持ちになれず、もちろん言葉にも出せませんでした。これでは失敗するとしか思えなかったのです。
動機善なりや
私たちが何か事を起こそうという時にもっとも大切にしなければならないことは何なのでしょうか。たとえば資金、技術、人材、情報などはどれも大切なことです。しかしこれらのことは部分を表現しても本質的なものではありません。
最も大切なことは事を起こそうと思った「根本動機」です。この動機があらゆることの原点となって進んでいきます。根本動機とは、なぜそのようなことを考えたのか、何を成し遂げたいのかという「志」のことです。また、「無」だったところに「有」が生じることになった根本理由ともいえます。ですから根本動機が不純であったり、個人の利殖のためであればうまくいくはずがありません。
指導者には三つの大きな敵があるといわれます。それは外敵ではありません。心の中にある敵のことです。指導者には、まずひと儲けしてもっと財産を増やしたいという「財産欲」が生まれ、それに自分の立場を維持・保全するために「権力欲」が加わり、最後には有名になって勲章でももらって名を残したいという「名誉欲」にまで発展するといわれます。このような欲望は誰しも大なり小なり持っているものですが、高い地位にいる指導者が抱くと、まことに醜い欲望に見えてきます。この醜い欲望をコントロールできるか否かによって指導者の質が決定されるといっても過言ではないでしょう。
この財産欲、権力欲、そして名誉欲が「根本動機」となって進められていくようなことはうまくいくはずがありません。たとえうまくいったとしてもそれは一過性のものにすぎないのです。
根本動機は善なるものであってほしいと思います。善なる動機には、己よりも他を優先する利他の精神、周りの人を幸せにしてあげたいという愛情、そして前向きであることが大切です。
京セラの稲盛会長が第二電電をつくる際に「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉で自分自身を問い詰めていったという話は有名です。第二電電の経営がうまくいったのもこの根本の考え方があったからだと稲盛会長自身が語っています
あなたが考えたことを実行し、推進していくプロセスでは汚れた手段を選ばねばならない時もあるでしょう。しかし、根本にある「動機」は澄みきっており、善なるものであって欲しいのです。できれば子供の頃に膨らませた夢のように。
新年早々お堅い話になってしまいました。年頭にあたり、今年こそ新しいことをやろうとお考えになっている経営者もたくさんおられるでしょう。そこでもう一度だけ頭を冷やして見つめていただきたいと思います。あなたが考えていることの根本にある動機は何なのか?それは善か、否かと。