Now Loading

株式会社新経営サービス

Books
出版物

トップページ > バイマンスリーワーズ > 着眼大局 着手小局

バイマンスリーワーズBimonthly Words

着眼大局 着手小局

1996年09月

「今の我社では売上の確保が最も重要なテーマなんですよ。業界は熾烈な生き残り戦争の真っ只中でここでシェアを落とすわけにはいかんのです。だから、毎朝の朝礼で売上の重要性を声を枯らして訴えています。」

苦戦が続くなかで京都の伝統産業を守り、自社の存続に必死で努力しているK社の社長が以前、このような話をされていました。

最近になって、私の担当する経営幹部研修にそのK社の営業部長が参加され、「我が社において最重要な取り組みテーマは何か?」について考えていただくことになりました。営業部長氏が自信を持って答えた内容は、やっぱり“売上の確保”でした。私は、

「なるほど、売上の確保が重要なことはわかりました。では、その“売上の確保”のために最重要な取り組みテーマは何でしょうか?」

と尋ねたところ、彼は

「ウーン・・・・。」

と、黙りこくってしまったのです。しばらくして、

「売れる商品があればね・・・、いや、営業マンのレベルアップも・・・ それに・・・・」

といったよく解からない内容の答が返ってきたのです。その営業部長氏、入社以来、社長から言われ続けているので売上の大切さはとイヤいうほど解かっていました。しかし、そのためには、何を、どのようにすれば、どのような結果が出るのか頭の中が混乱しているようです。混乱というより、よく解からないというのが正しいのかも知れません。私はてっきり社長の打ち出す方針に対し、営業部長を先頭に各営業マンが具体的に考えて的確に実行しているものと思っていました。ところが営業マンの尻を叩くことしかやっていなかったのです。この会社で最も重要な販売を任されている営業部長がこんなことではいただけません。

「売上ですよ、ウリアゲ! 売上さえ上がればこの沈滞ムードはいっぺんに吹き飛んでしまいますよ。」

数年ぶりに訪問した大阪のS社に入ったとたん、ムードが異様に暗いので、社長に尋ねるとこんな言葉が返ってきました。ここ数年来、売上は低下傾向で、利益を確保するために夏のボーナスも大幅ダウンといった人件費縮少政策を続けているとのことでした。社長は業績さえ回復すればすぐにでも給料を上げるという方針を打ち出しているので、いずれムードは良くなるだろうと妙に楽観的です。何人かの営業マンにも現在の心境を聞いたところ、

「玉ですよ玉!。売れる商品さえあればいくらでも売るんですがねえ・・・。」

と、短絡的で、営業マンとしての本分を忘れたような返事しか返ってきません。私は思わず閉口してしまいました。そんな簡単に売れる商品があれば子供でも売るじゃないか!と心の中で憤りを感じたのです。何かが間違っているとしか思えませんでした。

結果を求める悪循環

どうも今のビジネス界には“原因と結果”が頭の中で混乱している人が多いように思います。

世の中で起こっていることはすべからく“原因”と“結果”で成り立っています。善なる原因があれば善なる結果となり、悪の原因があれば善くない結果が訪れます。これを因果関係といいます。ですから、私たちは常に善なる結果をもたらす原因を明らかにしておき、その原因に注力すればいいのです。

ところが残念ながら、結果ばかりを追い求めるために、打つ手が的外れになり、思うような結果が出せていない企業が少なくありません。冒頭の企業のように、結果である売上を追い求めても売上は上がりません。売上を上げるための原因群を明らかにして、その中で最も重要で取り組み易い課題に全精力を注げばいいのです。

スポーツの世界に置き換えればよくわかるでしょう。たとえば、あと10勝で優勝という“善なる結果”を眼前に控えているプロ野球チームが、優勝を意識したとたんに選手達の動きがおかしくなり、優勝を逃したというのはよくあることです。眼前のストライクだけを無心で叩くとか、懸命に走塁するといった間違いのない“善なる原因”に注力すれば好ましい結果は自ずと出てくるのです。

人は自己の能力が及ばなくなると評論を始める

経営者とは結果を欲しがる職業でもあります。

もちろんこの道のプロなのですから売上や付加価値、また最終的な利益という“結果”を求めるのは当然です。また、こんな社員になって欲しいとか、こんな幹部になって欲しいという理想像も求めます。ですから、いつもそのことが口から出てしまいます。

じつはここに大きな落とし穴があるのです。

現場で営業をしたり業務を推進する人が“善なる原因”に注力しなければ“善なる結果”は生まれてきません。たとえば、新規開拓のために時間を割くとか、訪問回数を増やすといったことです。ところが経営者が“結果”ばかりを強要するために、現場で活動する人の頭の中は“結果を出すこと”に支配されてしまいます。よって、結果を出すためには、何をどのようにすればいいのかまったくわからない、考えないという状態に陥るのです。

組織の人々が結果ばかりを求める“悪の循環”を続けていると“善なる原因”に触れることが出来ずに疲れ果てていきます。そして自分の能力の限界を感じ始めるのです。

人は自分の能力が及ばなくなると、結果や現象に対して他人事のような評論を始めます。そして他人に責任を転嫁し、最後には逃げるものです。これが悪の循環の結末です。

一方、“善なる循環”とは“善なる原因”を求め続けることです。指導者であるあなたが善なる原因を的確に把握し、その原因に傾注する度合いによって“善なる結果のレベル”が決まるのです。

成功するための秘訣は今やっていることが“善”であることに確信を持ち、善なる結果が出るまで続ければいいのです。

叫ぶだけで川は渡れない

“善なる結果”はたいてい川の向こうにあります。売上や利益といった結果は様々な経営活動の集積として対岸にあるものです。社長が対岸から「早くこちらへ来い!」と呼んでも部下は橋がなければ渡って来られないのです。

中小企業が抱える人材は川を渡る方法を考えるチャンスのない人が多く、なかには対岸で社長が叫んでいる内容について理解できない人も少なくありません。器用な社員は舟をこいだり、自力で泳ぎ着いたりしますが、途中で溺れて流されている社員もいますし、“橋のない川”を眼前にして途方に暮れている社員が多いのも現実です。

対岸から大声で叫ぶだけの経営者は困ったものです。対岸に渡るための方法をわかり易く説明し、社員と一緒になって架橋工事に汗を流すという“善なる原因”を続けることが中小企業経営者の仕事なのです。

それでは、今、自分は善の循環となっているか、悪の循環に陥っているのかはどのようにして判定すればいいのでしょうか。

孔子の弟子、荀子が「着眼大局、着手小局」という言葉を残しています。

眼のつけどころは大局でおこない、実践は小さなことを積み重ねることによって為されていくという教えです。

そこで、まずは高いところから自分のやっていることを眺めてみましょう。低い所では全体が見えないし、見なくてもいいものまで見てしまいます。結果はハッキリ見えるので高い所から見ればいいのです。そして、どのレベルに最終結果を求めるのかを高所から考え直してみましょう。結果は大局的に、原因の実践は小さなことの積み重ねなのです。

文字サイズ