バイマンスリーワーズBimonthly Words
不動智神妙録
沢庵宗彭 (1573~1645)が、禅を通じて兵法の理を解いた「不動智神妙録」という書を残しています。沢庵は当時の徳川家に仕えた柳生新陰流の剣の達人、から「兵法と禅」についてたびたび質問を受けていました。そこで剣の道を説き、宗矩の人間的成長に大きく寄与したこの書を彼に宛てたのです。この書では様々な修行を通して諸仏不動智という心境に達することの価値を語っており、現代の私達への今日的意義も深くあるように思います。
沢庵は本文で次のように語っています。
「諸仏不動智という言葉があります。不動とは動かないということ、智は智恵の智です。動かないといっても、石や木のように全く動かぬというのではありません。心は四方八方、右左と自由に動きながら一つの物、一つの事に決してとらわれないのが不動智なのです。 〈中略〉
千手観音は手が千本おありになりますが、もし弓を持っている一つの手に心がとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手はどれも役には立ちますまい。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆役に立つのです。いかに観音とはいえ、どうして一つの身体に千本もの手を持っておられるのかといえば、不動智を身につけることができればたとえ身体に千本の手があったとしても、立派に使いこなせるのだということを人々に示すために作られた姿なのです。」
(池田諭訳『沢庵不動智神妙録』徳間書店刊より引用)
沢庵の生きた時代は剣を操る武士が中心の時代、現代の経済中心の時代では、「不動智神妙録」はまさに私たち企業経営者のために書かれたものともいえるでしょう。この書では、当時の様々な事象を例にあげて、諸仏不動智の心境を語っています。ここでは現代の経営の現場における不動智、つまり一つの所に心が止まらない心境について考えてみましょう。
人に心が止まる
企業は、上司・同僚・部下・顧客・仕入先など様々な立場の、全く異なった考えをもった人々によって構成されています。その中で、自分のまわりにいる「ある人」に心が片寄り、自由自在に心を動かすことができなくなることがあります。不動智神妙録では複数の敵との戦いにこのことを例えています。仮に十人の敵が一太刀ずつ攻めてきたとき、一人の敵を前にして心が止まるようなことがあれば、その一人の太刀は受け流すことができても、次の敵に対してこちらの動きが抜けてしまうことになります。この時、一太刀を受け流して、それはそのままに心を残さず、次々と打ってくる一太刀一太刀を同じように受け流すなら、十人全部に対して、立派に応戦できるというのです。どの一人にも心を止めることをしなければ、どの人に対しても的確に応じられるのです。
・トップが片腕の幹部や後継者のことが気になり、心が止まる。そしてその他の重要な経営機能がストップしてしまう例
・管理者が上ばかりに気を使い、他のことに無関心になったために部下の定着が図れない例
など、人に心が止まるために起こる弊害は現代の経営の現場でも日常茶飯事に起こっているのです。
一部の経営機能に心が止まる
企業には、商品開発・生産・販売・人事・財務などの経営上の機能が必要とされます。トップがこれらの経営機能のうちの一部に心が止まるために、その他の機能がマヒしてしまうことがあります。例えば、下請加工で会社を成長させてきたメーカーの社長は得意分野である生産機能を強化することに心が集中してしまうでしょう。ところがこれが恐いのです。昨今のような景気後退期になると一挙にそのツケが回り、業績の悪化を招きます。本来なら商品開発や販売に対して常から心を配り、その強化に努めることが重要なのです。 私は日頃から経営にはバランスが必要であると説いています。が、不動智神妙録ではこの考え方のレベルでは充分ではないといっているように感じるのです。各々の経営機能にムラなく心を配るのがバランスなら、不動智では各々の経営機能に心を止めてはならない。止めなければ、今最も強化すべき経営機能は何か、何を為すべきかが見えてくると言っているように思えます。
過去の失敗に心が止まる
過去に冒した失敗に心が止まり、将来に向けての正しい施策がタイムリーに打てなくなることがあります。たとえば、
・以前、販売促進で大きな失敗をしたのでこれからは当分の間、販促にはお金をかけない
・新商品開発で大損をしたのでこれからは売れるものしか扱わない
といった考えになり、経営戦略の遂行にブレーキがかかるのです。不動智神妙録では「石火の機」として、心を止めずに素早く行動することの重要性を説いています。石をハタと打つと、その瞬間光が出ます。石を打つのと火が出るのとの間に隙間がありません。事業にも機があって、過去の失敗に心を止めず正しい政策を間髮をいれずに行うことが重要なのです。
自分の心に心が止まる
トップであれ、幹部であれ人間なら一番恐いのが自分の心に心が止まることではないでしょうか。
・自分の存在を守ろうとする自己保身の気持ち
・自分の将来に対する不安の気持ち
・自己の欲求を満たしたいという気持ち
といった気持ちに心が止まり、動けなくなる。そして無理に起こした行動が、まわりの人にとっても自分にとっても最悪の結果を生むことになるのです。
これは経営者・経済人に限らず、すべての人間が生まれ持ったであり、この自分の心に心が止まらないように鍛錬を重ねることが人としての修行なのかも知れません。
最後に、不動智神妙録は次の歌で締めくくってあることをご紹介しておきます。
「心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心ゆるすな」