バイマンスリーワーズBimonthly Words
善転のすすめ
ドクター・キリコは新薬の カルディオ トキシンを手に入れた。
服用すれば穏やかに眠ることができるが一時間後に心臓が停止する。
そんな怖ろしい毒薬とは知らずに、少年は心臓病の母親のために薬を盗む。
ブラック・ジャックが少年の家を探し当てたが、すでに母親は薬を飲んでいた。
このままなら、あと一時間で死んでしまう…。
安楽死を商売にするドクター・キリコはあきらめるが、
ブラック・ジャックは「3分あれば心臓にメスを入れてみせる」
と、命を救うためにタイムリミットまでメスをふるう。 そして…
(ブラック・ジャック 177話 「死への一時間」 より)
この結末はまだ読んでおられない方のために伏せておきますが、
漫画家でありながら、医師の資格を持っていた手塚治虫の作品です。
この薬はナチスがユダヤ人を殺すために開発された、という場面もあり、
漫画を構成するためのフィクションだとは、簡単に語れない深い内容です。
手塚作品の多くは「生命の尊厳」を私たちに問いかけます。
ブラック・ジャックは命を救うために心臓の手術を選びましたが、
それはメスを使った高度な技術であり、少しのミスでも「死」に至る。
そう、神聖な医療用のメスも使い方次第では命を奪うドスに変わるのです。
「薬は薬であって毒ではない。毒は毒であって薬ではない」
このような二元論の考え方が、かつての薬品公害を招きました。
病気を治す薬だから、飲めば飲むほど身体によいだろうと思い込み、
挙句の果てに副作用(毒作用)で大勢の人が苦しむ結果を招きました。
いずれにせよ薬と毒、メスとドスは生と死の両極にありますが、
それらにはいったいどのような関係があるのでしょう…。
一つのものに 二つの正反対の名前がある
~ 薬は天使である。しかし悪魔にもなる ~
SNSなどを通じてこのように訴える医師もいます。
確かに勝手に用法を変えたり、他人の薬を飲んだりすると、
効果がなくなり、人によっては重大な副作用で苦しむわけです。
仏教哲学に「三性(さんしょう)の理」という考え方があります。
ものごとには「善」と「悪」の両面があるといわれますが、
善と悪の上位に、善でも悪でもない「無記」という存在がある。
無記とは記(しるし)も色も付いていない、純粋な存在そのものをいいます。
路上に何の変哲もない石ころ(無記)が落ちています。
この石で木の実の殻を割れば有用な道具(善)になるが、
人に向けて投げつけると、怖ろしい凶器(悪)にもなります。
このような関係を図にすると「三性の理」の意味がよくわかります。
つまり一つのものに二つの正反対の名前があって、
そのうちの人間にとって都合の良いものが「善」であり、
都合の悪いものが「悪」になるだけである、というものです。
怖ろしい悪も、自分次第では善にも悪にもなる、というわけです。
善転によって 救済の道は広がる
多くの中小企業が厳しい局面に置かれています。
材料コストの上昇が価格に転化できず、収益性が悪化。
結果、賃金アップが難しく慢性的な人手不足に陥っています。
円安やインフレの影響と言われますが、それが本当の原因でしょうか。
ロボット工学者で、仏教研究家でもある 森 政弘 教授によると、
「客体に 善か悪 の二面があるのではなく、無記の一面しかない。
それを善にもし、悪にもするのは、主体である人間次第である」という。
つまり、悪は「無記」の下にある一面であって、
制御の仕方によっては「善」に転じることができる。
まず我々の目から見た「悪」を絶対的な悪と決めつけず、
「無記」の次元に高めて「善」へと転じることが大切だという。
為替の変動で苦しんでいた輸入中心の経営者が、
数年かけて輸出と輸入の割合いを均等にしたところ、
円安・円高に対応できる世界的なメーカーに変身しました。
為替の変動を悪としないで無記に上げ、善に転換させた例です。
何かとクレームの多い、嫌なタイプのお客様もおられるでしょう。
お客様は「無記」であり、嫌なお客様を善に転換できる可能性が高い。
クレームがあったら「チャンス到来!」と、上の次元に上げてみましょう。
そこから善の発想で行動すれば、相手から歩み寄ってくれるに違いありません。
どれほど厳しい状況に置かれても救済の道はあります。
そのために心の中を「無記」の状態に上げて、
善に転ずるように心がけましょう。
~ 悪は善に転じる ~ これが“救済の道”です。
善は悪に転じる可能性がある ~ 堕落の道に ご用心 ~
「三性の理」の裏側にはもう一つの道があります。
~ 善は悪に転じる可能性がある ~ という“堕落の道”です。
私たち経営者は、悪いことに出会うとグッと気持ちを引き締めますが、
善の状態が続くと有頂天になり、打つべき施策が遅れることもあります。
私はずっと経営者の「判断の縁(よすが)」について、
好きか嫌いか、損か得か、そして…善か悪か、
という二元論の選択を経て、最後には二元論を捨て、
“わりきらない”で判断しよう、と申し上げてきました。
ここで、“わりきらない”でどうするのか? を加えましょう。
~ 悪に会ったら善転を、善に会ったら用心を ~
さて、冒頭に登場したブラック・ジャックとドクター・キリコ。
医者としての正義感の違いでぶつかってばかりでしたが、
二人が協力して一人の患者の命を救おうとした話は、
ブラック・ジャック全作品でここだけのようです。
森教授によれば「正義感」は無記だという。
正義感はたいてい「善」だと思われていますが、
うまく使えば平和で、正義感に固執すると争いになる。
自分は正しいと思う正義感が、戦争を招く根っこにあるという。
衆議院総選挙の結果は、新政権にどのような影響を及ぼすのか。
二つの勢力が拮抗している米国大統領選挙はどちらに転び、
世界平和に向けた「善」となるのか「悪」になるのか…。
どのような体制になっても、ぶれない生き方をしたい。