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バイマンスリーワーズBimonthly Words

名こそ 惜しけれ

2016年05月

残念な話題が続いています。
プロ野球の顔だった人物が覚せい剤使用で逮捕され、
メダル獲得が確実な選手が違法賭博で五輪に出場できない。
いずれもスター選手だけに多くのファンに与える失望感は大きい。

経営者のスキャンダルも絶えません。
上場企業には実力経営者が集まっていますが、
またも不正会計や反社会的勢力とのかかわりが発覚。
大手企業の不正は中小企業の経営者にも悪影響を与えます。

その世界のトップにまで上り詰めた人物なのに、
ほんの少しの気の緩みからなのか、奈落の底に落ちていく。
分かり切っているのに、なぜそんな失態をおかしてしまったのか…。
しかし「私は決してそんな愚かなことはしない」と言い切れるでしょうか?

スキャンダルの渦中にいる人には、
余人には想像できない重圧があるでしょう。
STAP細胞を巡る疑惑では自ら命を絶つ悲劇があった。
努力を重ねた優秀な人物が、最悪の選択をされるのは実に惜しい。

経営者の判断では、進出よりも撤退の方が難しい。
順調な事業でもいつかは壁にぶち当たり、下降線に向かう。
面子もあるので、できるなら店舗や工場の閉鎖はやりたくない…。
このように過去の成功にとらわれていると、判断を過つことになります。

私たち中小企業の経営者とは実に不安定な職業です。
今は好調でもいつ経営が破綻するかわからない。
それは、わずかな心の緩みからなのか、
人生、いつ暗転するかわかりません。

経営の失敗は 人生の失敗ではない

倒産した人を救済する「八起会」を創設した 野口誠一氏は、
自ら起業して社員100名、年商12億まで成長させた事業家でした。
しかし自らの放漫経営によって倒産、全資産を処分してドン底の生活に陥る。
その後、自分と同じく倒産した人の再起を支援することで、奇跡の復活を成し遂げます。

野口氏は会社が倒産する原因についてこう語ります。
「倒産の原因は、不況や競合ではなく、会社の内側にある。
じつは好況のとき、儲かっているとき、楽なときが一番危ない。
つまり、経営者が自信過剰、高慢になることが根本原因なのです」

また倒産の意味についても語ります。
「しかし、倒産は恥ずかしいことではありません。
倒産は経営の失敗であって、人生の失敗ではないのです。
倒産者は苦しみから死を急ぐが、家族の苦しみはもっと苦しい。
だから自ら命を絶つことは絶対にやってはなりません」

ご自身の失敗から学んだ実体験の哲学です。
一時の成功から急転直下、生きるか死ぬかの生活。
そこではじめて気づいた本来の自分がやるべき仕事とは…?
つまりこれがこの世に生まれた目的である”使命”だと知るのです。

人生は一回しかありません。
そして誰にも必ず「死」はやってきます。
経営者が「死」に対して正面から向き合うことで、
「何のために命を使うのか?」に目覚めることになります。

日本の産業発展の礎となった"名こそ 惜しけれ"

国民作家 司馬遼太郎が亡くなって20年。
司馬さんが注目したのは、鎌倉時代の武士の精神でした。
それが武家政権の拡大と共に全国に浸透し”痛々しいほど清潔”に、
近代産業の育成に貢献した明治国家を生み出し、日本発展の礎になったという。

~ 名こそ 惜しけれ ~
「恥ずかしいことをするな、卑怯なことをするな、名は命より重い」
これが”坂東武士”と呼ばれる鎌倉時代の武士が育んだ精神であり、
今も一部のすがすがしい日本人の中に生きている、という。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」
『葉隠(はがくれ)』のこの一説は、命を粗末にせよという意味ではありません。
主君に大切な命を預けている武士は、自分の判断で死なせてもらえない。
自死は本人だけでなく、”主君の名を汚す 恥ずかしい”ことになります。

主君に忠誠を尽くし、親孝行をし、弱きを助け、名誉を重んじる…。
鎌倉時代の武士は「たのもしさ」ということを大切にした。
こうして幕末期に完成した武士という人間像は、
「人間の芸術品」だと司馬さんはいう。

救済活動を続けた野口氏は本年2月に85歳で逝去されました。
晩年、波乱万丈の人生を振り返りこう語りました。
「人生の目的は人を助けることなのです」
ここにすがすがしい”名こそ惜しけれ”の精神を感じます。

人間の”命”には限りがありますが、
“名”は死後も残り、永遠に消えません。
勝負に勝っても卑怯な勝ち方なら誰も喜ばない。
会社が儲けても誰かを苦しめるなら価値はないのです。

上に立つ者には それに応じた義務がある

欧米には「ノブレス・オブリージュ」と呼ばれる道徳観があります。
「身分の高い者にはそれに応じた社会的な義務がある」という。
「士農工商」の身分制度の中で最も高い位置におかれた武士。
“名こそ惜しけれ”もこれに近い精神だったのでしょう。

今の日本には狡猾(こうかつ)で、許しがたい不正行為がはびこっています。
少しばかりの不正であっても、バレなければ罪でない、
多少のウソや隠しごとがあっても儲かればいい…。
こんな考えがまかり通る経営であってはならない。

もちろん誠実さを貫いて利益をあげている経営者もたくさんいます。
私たち経営者は自らを律し、自己を確立せねばなりません。
そのためには業績をあげるための経営手法だけでなく、
たのもしい人格を磨く修養も大切になってきます。

経験の浅い後継経営者が、最も高い位置から経営をするのは大変です。
心がめげそうになった時、逃げだしたくなったその時こそ、
先人が積んだ伝統と信頼に支えられた名声に感謝し、
「名こそ惜しけれ」を人格の柱にすればいい。

覚せい剤でダメになった人も、違法賭博をやった選手も、
自分に厳しい生き方をして、復活されることを期待します。
私は司馬さんが小学六年生のために魂を込めて書き上げた作品、
『二十一世紀に生きる君たちへ』をことあるごとに読むようにしています。

「もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして”たのもしい君たち”になっていくのである」(『二十一世紀に生きる君たちへ』より抜粋)

司馬さんは自らの戦争体験から湧き出た動機によって作家となったという。
「どうしてこういう国になってしまったのだろう? 」
私たちには未来の人たちが悲観をしない国にする義務があります。
そのために国家の指導者選びには、命をかけて間違いのないようにしたい。

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